派遣OLの愛沢蜜希さんが、ヤサぐれ社員の久保田昇に神様を見るお話
神様に罰当たりな事。
さっそく次の日。
向かい側の研修室では、急病人が現れたとバタバタしている。
参加者が貧血だと知らされた。救急車を呼ぶほどではないらしく、しばらく別室で横になるという。そんな慌ただしさから一息ついて、11時頃、ちょっと遅めのコーヒータイムとなった。見ると、私宛に荷物が届いている。
高町社長から。
送り状には〝忘れ物〟と走り書きがある。開けてみたら、手鏡。
「あ……そう言えば」
どこで無くしたのか気が付かなかった。カードが添えてあり、そこには〝こういうの好き?〟とある。見ると、忘れ物といっしょにお菓子が添えられていた。
無邪気もさる事ながら、伸びの良い筆跡には、健やかな自信が窺える。
お茶を用意しながら給湯室で開いていると、そこに女性社員が入って来た。
「すっごーい!マルコリーニのトリュフチョコ。こんなにたくさん」
「頂き物です。みなさんでどうぞ」と包装を開いて置く。「いいの?」と彼女は躊躇しながらも1粒取った。高価なチョコレート・トリュフ。1粒300円はする。うーん、と満足そうに味わいながら、彼女は箱の送り状を取り上げて、
「愛沢さんの……お知り合いから?」
そのニュアンスには、邪な響きが感じられた。愛人がお手当と一緒に貰ったスイーツだと妄想が膨らんでいるのかもしれない。
「それ、高町グループの金ボケ社長だろ」
そう言いながらやって来たのが久保田だった。
「え?高町って……確か、社長は亡くなって」
それを聞いて、久保田は笑いだした。
「愛沢の愛人設定。ブレないにも程があるな」
「てことは、今の社長と?あの人確かまだ独身だよ?」
私は苦笑いで頷いた。彼女はそこで絶句する。「うそっ。マジで?!」
「おい、ちゃんと確認しろよ。絶対2号だと思ってんぞ、この顔は」
そうなると苦笑いどころじゃなくなる。高町社長の名誉の為に、「お付き合いを前提にお会いして、1度ご馳走になりました」と、事実まんまを言った。
お付き合いと言うのは愛人じゃありません。そこまで言う必要はないでしょ。
「すっごーい……これって秘密?誰かに言っちゃダメ?」
それには私ではなく久保田が、「言い触らしてやれよ。愛沢の汚名返上。どうせ黙っていられねーだろ」と言ったので、私もそれに頷いた。
こうしちゃ居られないと、淹れたばかりのコーヒーを置き去りに、彼女は慌てて給湯室を出て行く。今日からハチの巣になる、と覚悟を決めた。
「久保田さんもどうぞ」と箱を見せる。
「甘ったるいの嫌いなんだよ。吐くぞ」と、久保田は憎まれ口を叩く。
「どうなの社長サマは」
「どうって、いい方ですよ」
見た目もプロフィールも申し分ない。何でもスマート。食事も美味しかった。会話も楽しかった。私はまるでお姫様でした。奴隷ではありませんでした。
久保田の真反対を羅列した。これに嫉妬して、荒れ狂う久保田を見てみたい。
「で、久保田さんは、これをどう粉々にブチ壊してくれるんでしょう」
「良く考えたら、ブチ壊す必要あるか?」
「急に弱気になった、という事ですか」
「条件良ければ売るのが奴隷、という事だが」
そう言えば、会議室で迫ったのを最後に、あれから1度も強引にやって来ない。
「高町の名に怖気づきましたか。久保田昇ともあろうヤサぐれが」
「仮面ライダー、オダギリジョーだって、相手がビル・ゲイツなら逃げるだろ」
その時……ビル・ゲイツと戦う仮面ライダーが傷だらけで妄想に現れた。
高町社長と対峙する久保田は、戦う前に逃げ出すのか……そこで、妄想に私自身が現れる。これは初めてかもしれない。逃げ出そうと企む久保田のネクタイを掴んで、引きとめて……リアルに戻れば、またネクタイが新しくなってる。
クリスマス仕様。赤と緑の色合いが、なかなかに大人らしいデザインだった。
向かいの研修室が急に騒がしくなって……これは恐らく休憩だろう。
妄想が中断、私は手を忙しく動かす。
「久保田さん、コーヒーでいいですか」
「自分でやる」
「貰い物のラスクが、まだありますよ」
「自分で取る」
奴隷を手放す覚悟を決めて、すっかり切り替わった主の態度だった。
「ネクタイ、また買ったんですね」
「まぁね」と言うけれど、ドヤ顔でブランドを見せて来ない。
「またデパートで勧められたんですか」
「何度も言わせんな。そういう事をさせるために女が居るんだろが」
それには、いつかと違う含みがあった。
「クリスマスは、そういう余ってる女を誘って、適当に遊ぶかな」
……誰の事?
自分に興味を失ったのは、高町と言う名に怖気づいたと勝手に思い込んでいた。そうじゃないのか。新しい奴隷なのか。ドヤ顔でセンスを誇示する必要もないほど、その女の感性を信頼しているのか。その涼しい横顔を見ていたら、急に、こっちの胸の中にドス黒い感情が湧きあがる。
「余ってる女って……誰なんですか」
「システム課のデブ。管理課のブス。どれかは突っ込めるだろ」
チョコレートを1粒、久保田は口に運んだ。嫌いだとか言っておいて。
余ってる女とか言いながら、そうなったら勢い、いつか私にしたように邪な態度を繰り返す。誰か女性社員。研修参加者。まさか、林檎さんとか。
リアルな女が次から次へと脳裏に現れて……何故だか分からない。急に、目の前のネクタイを掴みたい衝動に駆られる。妄想がリアルに追いつく瞬間、グイと掴んで引き上げたら、驚いた久保田はマグカップを掴み損ねた。こぼれた熱いコーヒーが、見る見るうちに箱のチョコレートを溶かしていく。
「俺が好きなら、ここで脱げ」
「そんな台詞が許されるのはイケメンだけです」
「新しい下着買えよ。愛沢は3倍盛らないと厳しい」
「誰とスリ替えても、その台詞はクズですね」
「その不幸顔もどうにかしろ。俺じゃなくてもマジで萎えるワ」
まるで嫌味の名を借りたアドバイスだった。まさか久保田からアドバイスを貰うなんて思ってもみなかった。……久保田のくせに。
気を使って、私の1番痛い所から遠ざかろうとする。それも屈辱だと思った。
私は、適当に遊ばれる余った女に、嫉妬している。まるで、別の意味で久保田の奴隷だった。気付かれた、と思う。久保田だって、そこまで馬鹿じゃない。
私はネクタイを放り投げた。
愛沢……。
呼ばれたのか、気のせいなのか。判別できないほど、それは小さな声だった。
「俺は、本命には向いてない」
派遣を社員に上げてやる権限も無い。自身の昇給も昇格も望めない。努力するつもりも無いから、このまま女にも会社にも嫌われたままで生涯終わるだろう。
何が言いたいのか。どういう慰めか、何かの前振りか、久保田は、ありとあらゆる自分の悲劇をあげつらった。だから忘れろ、とでも言わんばかりだった。
こぼれたコーヒーを雑に拭って、その雑巾を久保田にぶつけた。
ネクタイもスーツも、いつかみたいな汚れ模様になる。
涙が込み上げて来て、すぐに給湯室を飛び出した。
愛沢蜜希は、今日初めて……神様に罰当たりな事をしました。
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