向日葵
第二話

 十八年前、夏。一秋一家は夏休みを利用して田舎の祖父母のところへ帰省していた。祖父母の住まいは山奥にあり、一軒家で周りは高い山々で囲まれている。むろん近隣に民家はなく、別荘と言った方が近いかもしれない。
 買い物に行くにも車で三十分はかけないと商店にはたどり着けない。しかし、避暑地には最適で真夏の暑さからは完全に解放される。そして母屋の前に流れる小川が涼しさに拍車をかけていた。

 一秋は釣りが好きで毎年ここに来ると日課のごとく小川で魚を釣っていた。小学校に上がったばかりということもあり好奇心も旺盛で、昨日の今日帰省したばかりで早くも川ではしゃいでいる。
 川に糸を垂らして釣り竿を川原の石で固定すると、魚が餌に食らいついて竿が下がるまでは自身が川に入って銛で直接魚をしとめようとしている。半袖の白いTシャツに緑の半ズボン、麦わら帽子姿で一秋は獲物を物色する。

 その麦わら帽子には今朝妹から取り上げたばかりの花の形をしたブローチが付けられており、さながら戦利品のように誇らしげでもある。兄妹というものは何故か相手の大事にしている物を欲しがってしまう。例えそれが自分にとって価値のない物だったとしても取り上げてしまうものなのだ。
 このブローチも元は一秋が縁日で入手し興味がなくあげたものだが、妹が大切にしている姿を見ていたら無性に欲しくなって取り上げてしまった。もちろん妹は大泣きし、一秋は怒る親から逃げるようにして今ここに至る。
「あっ! くそー、また逃がした!」
 一秋は銛を片手に悔しがる。今日はまだ一匹も穫れておらず、用意してあるバケツには透明な水だけが入っている。
「よーし! 今度こそ!」
 気合いを入れ直して川を移動する。冷たくて気持ちいい流水が膝を刺激する。一秋は時間が経つのも忘れて川を探索する。周りに人の気配はなく、蝉のうるさい鳴き声だけが辺りを包んでいた。そこへ、「カラッ」という川原を歩く足音がふいに耳に入ってくる。

 音に反応して川原に目をやると、そこには知らない女性が立っている。その女性は白いワンピースを着て長い髪は後ろで纏めていた。肌は透き通るように白く病弱そうにも見える。一秋は川から上がり女性の前に立つ。女性は一秋の視線を受けてニコッと笑う。
「何か用?」
 一秋は生意気な口調で話しかける。知らない大人だろうが物怖じしない性格なのだ。
「別に用はないけど……」
「あっそ」
 一秋は素っ気なくそう言うとまた走って川の中に戻る。この辺りには祖父母以外に人が住んでおらず、知らない人物が目の前にいるという奇妙なことに疑問を抱かないところはまだ子供だ。
「魚獲れた?」
 女性は川岸に近づきながら聞く。
「まだ獲れてない、でもすぐ獲れるよ!」
「頑張って!」
「任せとけって!」
 一秋はピースをする。その屈託のない表情を見て女性は含み笑いをする。次の瞬間固定していた釣り竿が倒れてズルズルと川の中に引っ張られる。
「あっ! 一秋君! 釣り竿が引いてるよ!」
「あっ!」
 一秋は急いで川から上がり竿を掴み取ると、素早く引っ張り上げる。小さな魚だが本日初の獲物だ。
「へへっ、スゴイだろ」
「うん、すごいね」
 一秋と女性は一緒に座り込んでバケツの中でクルクル回っている魚を見つめる。
「そう言えば、おばちゃん何で俺の名前知ってるの?」
 一秋は思いついたように女性の方を見る。
「お、おばちゃん? お姉さんの間違いでしょ?」
「別にどっちでもいいじゃん」
「もう! お・ね・え・さ・ん!」
「ハイハイ……、分かったよ。お・ね・え・さ・ん! まったく大人げないんだから」
「一秋君はもっと子供らしくしてほしいわ」
「そんなの俺の勝手だし。で、何で名前知ってるの?」
「それは……、ホラ! 帽子に名前が書いてあるじゃない! 一年三組、月岡一秋って」
「あっ、そっか!」
 一秋は麦わら帽子を取って名前を確認する。
「じゃあさぁ、どこから来たの?」
「えっ? 東京よ」
「ふ~ん、東京のドコ?」
「東京の台東区ってトコよ。って言っても分からないでしょ?」
「うん、分からない」
 無意味な質問を連発する一秋に女性もちょっと呆れている。
「それよりさ、おばちゃん彼氏いるの?」
「お姉さん!」
「どっちでもいいじゃん、いるの?」
「もう、いるわよ! 当然ね!」
「ふ~ん……」
「何? 何かご不満?」
「よく彼氏できたね」
 一秋のセリフに女性は明らかな不満顔を見せる。
「怒った?」
「いいえ! 別に!」
「怒ったらシワ増えるよ」
「じゃあ怒らせるようなこと言わないでね」
 怒り混じりの笑顔で顔を近づけられ、一秋も危機を察する。
「う、うん分かった。なんか怒りのオーラが出てるし」
「そう、分かってもらえて嬉しいわ」
 女性はニコッと笑う。それを見た一秋は少し考えたのち、帽子に付いている向日葵のブローチを外して女性の前に差し出す。
「コレ、あげるよ」
「えっ、いいの?」
「いいよ、俺のじゃないから」
「ダメじゃない!」
「いいよ。妹のモノは俺のモノ、俺のモノは俺のモノだから」
「ジャイアンじゃないんだから」
「いいって、妹には後で謝っとくから」
「でも……」
「人の親切は素直に受けなさい、貰えるものは貰っときなさい。って言ってたよ。母さんが」
「ははは……」
「だからあげる」
 半ば強引に差し出してくる一秋の手を見て、女性は諦めたように溜め息をついて受け取る。
「うん、ありがとう。大切にするわ」
「うん!」
 一秋は納得したように笑顔を見せる。女性も同じように笑う。
「さてと、じゃあ、そろそろ行かなきゃ」
 そう言うと女性はおもむろに立ち上がる。
「帰るの?」
「うん」
「また会える?」
「会えるよ、必ず……」
「いつ?」
「それは……、秘密!」
「ケチ!」
「ふふっ、またね、一秋君」
 女性は何度も振り返り手を振りながら去って行く。一秋はその後ろ姿が見えなくなるまでずっと見送っていた。

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