恋は質量保存の法則
第六話

 お互いがタイムストリッパーであり大人であると分かり合えた以降、校内では極力接触を避け会話もほとんどしていない。二人の会話内容やその口調は周りの生徒とは掛け離れたものになることが明白で、完全に浮いてしまうことが目に見えていた。
 タイムストリッパーを隠していた純平ですら大人の雰囲気を隠し切れていないことを考えると、律佳はもっと細心の注意が必要となる。タイムスリップなぞ土台信じて貰えないような事象でも、できるだけ騒ぎにならないようにすべきだと言い律佳も頷いた。
 しかし、それだけ周りに気を遣っているとストレスも溜まり、何でも言い合える二人だけの空間が必要と考える。それに当たり学校は勿論のこと互いの家も論外であり、行き着いた先が通学路から離れた船戸神社の境内となった。
 社務所もなく人が訪れることもほとんどないこの場所は秘密基地に持ってい来いで、安心して何でも語れる。そうは言っても律佳にとっては意中の相手であり、明け透けに何でもとは行かない。
 一方の純平は龍馬時代のエピソードをのべつ幕無しに語り、タイムスリップ以降相当溜っていた想いがあったのだと悟る。
「漫画とかで結構な書かれ方してるけど、そんなに泣き虫じゃなかったんだぞ!? ホントに失敬な作者だよ」
「そうなんだ。でも、おねしょはしてたんでしょ?」
「……記憶にない」
「便利な記憶力ですこと。学年一位はやっぱり違うわね」
「そういう立花さんは子供の頃どうだったんだよ」
「私はご覧の通り才色兼備のお嬢様よ」
「嘘吐け。タイムスリップ前の立花さんは休み時間にギャアギャア騒いでたぞ」
「記憶にございません」
「学年二位の記憶力は一味違うな」
「どういたしまして」
 そう言うと互いに顔を見合わせて噴き出して笑う。真面目で大人だと思っていた純平だったが、二人きりで話しているときは朗らかで明るい。
 見た目通り十五歳の中学生と思っても頷けるほどで、それは律佳に心を開いていることの現れでもあり本人も認識しているように見える。
(なんかとてもいい付き合いが出来てる気がする。二人だけの秘密を共有し二人だけの時間を持ててるのが大きいか。焦らなくてもこのまま行けば自然と男女の関係になりそうね)
 嬉しい想いを抱きつつ律佳は笑顔の純平を見つめる。自然と湧き起こる正晃との結婚生活では感じられなかった温かい感情に今はただ嬉しい。
(このまま順調に交際を重ねて行って、行く行くはゴールイン! なんて話が早すぎるか)
 純平との未来を勝手に想像していると、ふとした疑問が浮かび訊ねる。
「ねえ坂本君、坂本君って未来は変えられるって思ってるのよね? はじめて公園で話したとき、私の転落の未来を変えるみたいなこと言ってたから」
「それは……、まあ」
 急に滑舌が悪くなる純平に訝しがる。
「坂本君?」
「うん、理論上は可能だと思ってるよ。ただ、前に少し話した質量保存の法則が多少絡んでくると、ややこしいことになる」
「質量保存の法則……、大事なことだから詳しく話して」
「分かった」
 先の笑顔とは一転、純平は真剣な表情で語り始める。
「はじめに断っておくけど、これは僕の一考えであり、これが正解とか真実とかでもないから。事実、今のこのタイムスリップ状態なんて説明できないからね」
「分かったわ、一意見として捉えとく」
「うん、じゃあ話すけど、前にタイムマシンで過去や未来にタイムトラベル出来ないって話したよね。理由は質量保存の法則から総量が増えたりしないという考えから。ところで、映画にバック・トゥ・ザ・フューチャーというタイトルがあるんだけど知ってる?」
「勿論、有名だもの。タイムマシン付きの車に乗ってタイムトラベルするヤツでしょ?」
「そう、あれは質量保存の法則からするとあり得ない。その時間軸に本人が二人居たりするし。ただし、あの作品の良いところは過去に起こした行動で未来が変わることを分かりやすく表現していて、そこが理論的で頷けると思う」
(確かに分かりやすいし面白かった。過去の両親が恋愛関係になることで主人公の存在が確立するところとか筋が通ってるし。でも、坂本君の考えからするとこれはあり得ない)
「理論的だけど、あり得ないのよね?」
「あり得ないね。ただ、あり得ないと表現しているのはタイムトラベルの部分であり、質量が増減しない範囲での過去の改変は可能かもしれない」
「どういう意味?」
「映画と違って二人の自分が現代に存在している訳でもなく、今の僕らの状態は質量保存の法則から逸脱していない。この状態でなら未来は変えられるって意味。ただし、それも質量保存の法則を守った範囲でないと無理が出てくる」
 説明に首を傾げる律佳を見て純平はノートとペンを鞄から取り出す。そして、真っ白なページに人の形を二人分描くと、その頭に現代、未来と書いて再び語り始める。
「この人物を立花さんと見立てて話すよ。立花さんはとっくに自覚してると思うけど、タイムトラベルしてくる前の中学生活と、タイムトラベルしてきた現在の中学生活が大きく変化しているはずだ。これだけ見ると未来は安易に改変できると考えれると思うでしょ?」
(その通りだ。憧れの坂本君とこんな関係になっている時点で青春のページは塗り替えられている。事実として未来は変わってるのに坂本君は何故断定口調じゃないの?)
 疑問を抱いている顔を察して純平は話を続ける。
「僕が危惧している点は二つ。一つはタイムパラドックス、過去に戻って自分の両親を出会わないようにしたらどうなるかってヤツ。もう一つは歴史の修正力、どんなに足掻こうと大いなる力によって歴史は起動修正され歴史の改変はできない。どちらもあり得て、個の力ではなんともならない」
「タイムパラドックスは聞いたことあるし何となくわかるけど、歴史の修正力ってあまり理論的な話じゃないわね」
「そうでもないさ。質量保存の法則があるように、歴史にも質量があって保存の法則が成り立っているのかもしれない。歴史を知って危機的未来を回避しようとし行動した結末さえ既にプログラムされたものであり、生きるべき者は生き、死すべき者は死ぬ。人が決まった歴史の中で生かされているだけの生物だとしたら、法則の範囲で有り得る話だと思う」
「……もしかして、近江屋事件のこと言ってる?」
「ご明察。誰がどうしようと事件は起きて僕は必ず殺害される。そして、未来にタイムスリップする。これが歴史の既定路線だと考えられる。同じようにこの先の未来、立花さんがどんな選択をして生きていこうとも足摺岬での転落という事実は避けられない、これが歴史の修正力ってやつ」
 紙に書かれた未来の律佳にバツマークをつけられ良い気分はしない。
「暗殺されるのが事前に分かっていたら場所を変えるとか、護衛を増やしておくとか対策はいくらでもあると思うけど?」
「それは対処療法に過ぎない。その場凌ぎであって根本的には変わらず、違う形で僕は亡くなるだろう。言うまでもなくこれは予測であり確実性のある話ではないけどね」
「それが歴史の修正力。ちょっと考え難い事象だけど、その法則からすると私の転落という事実も変えられないってことでしょ?」
「転落という事実が変えられなくても、転落死という不確定未来は変えられる。立花さんの表現だと落下中であり落下ではないんだろ? 僕の場合は歴史の教科書からも暗殺という結果が出てるけど、立花さんの場合は未来であり来たる事実不確定だから対策次第だと思ってるのさ」
(確かに転落中であってまだ転落死したという結果は出ていない。けれど、あの状況から助かる方法があるとも思えないんだけど……)
 思い悩んでいる律佳を見て純平は苦笑する。
「歴史の修正力に関してはそんなに深く考えなくてもいいよ。神様の行う領域に近いものがあるし、場合によっては良い方向に転ぶことだってあると思う。問題はもう一つの危惧要素、タイムパラドックス。極端な例を挙げると僕が今、立花さんを殺めてしまった場合、未来の立花さんはどうなるのか。って話」
「それは単純に転落するという未来自体が無くなるでしょ? そもそも存在が無いんだから」
「その通り。では逆に、未来の立花さんを助ける人間を今のうちから崖に待機させていたら? もしくは崖の下に落下防止用の施設を建設していたら?」
「あ、それなら助かるかも」
「でもそれは、本来動くはずのない人間を動かし大きく未来の事象に干渉することになる。大きな動きをすればするほど、転落という十一年先の地点に行き着くまでに新たな歴史が構築再編され、本来転落するはずの立花さんを救う計画自体が、ややもすれば立花さん自体の存在が無くなるケースだって考えられるんだよ」
「計画が頓挫したり私の存在が無くなるのはダメだけど、基本的にそれって良いことじゃないの? 転落という未来を大きく変えて私が助かると言うのなら万々歳だと思うんだけど?」
「それによって誰かの未来を大きく変えることになってもかい? 例えば大事な人の未来や生死に大きく関わるようなことになっても?」
 ノートに書かれた現代の律佳の周りに沢山の人型を書き純平は続ける。
「これから先、立花さんの未来の事象につき関わる人が増えるということは、本来あるべき未来の既定路線を狭め他の選択肢を増やす結果になる。それは即ち新たなリスクを生むことに繋がるんだよ。生死に関わるって言うのは極端な例かもしれないけどね。立花さんだって自分が助かる為に誰かの人生を変えたりしたくないだろ?」
「それは……」
「大きく動けば大きな代償を払うことになる。これは質量保存の法則じゃなく僕の生きて来た上で得た人生の法則かな」
 明治維新の立役者とも言える人間に人生観を語られると律佳も容易に反論はできない。
「じゃあ、どうすればいいの?」
「必要最低限の範囲で動いて転落後の歴史に介入する。落下防止柵の設置や沢山の人を使っての救助等は避けた方がいい。干渉する人間の数を極端に減らすことが無難に十一年後の未来を迎える最良の手段だと思う。転落という未来が無難かどうかは別にしてね」
「その手助けは坂本君がしてくれるのよね?」
「今のところはそのつもりだよ」
「断定じゃないのは未来に起こることで予想出来ないから?」
「うん、十一年後に僕が存在してるかどうかも分からないからね。あ、もしかして十一年後の僕のこと知ってたりする?」
「ごめんなさい、坂本君とは中学卒業を最後に会ってないの」
「同窓会とかでも?」
「ええ、私自身が同窓会自体にほとんど参加してないのもあるけど。だからこうやって中学時代のクラスメイトと一緒に過ごす時間に懐かしさを感じてる」
「なるほどね、同じタイムストリッパーでも起点が過去と未来では感じてるものは全然違うってことか。言われてみると納得かな。まあ、未来の自分を知ったところで、どうこうって訳じゃないんだけど」
 未来を知ることに対し、さほど興味を示さない純平の姿に律佳は少し疑念を覚える。
 自分を救って貰うにもある程度の予備知識は必要だ。頭も切れて行動力もある純平を頼りにする反面、自身の迎える不確定で危険な未来に一抹の不安を抱いていた。


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