MAS-S~四角いソシオパス~
第十話

(はい、また変化球投げてきたよ、この女)
「予定では私と夫はハイキングで別々のコースを選び、その途中で私が崖から転落死するという形を取るつもりなんです。でも、もし夫の気が変わって私の後を追ってくるようなことになっては全てが水の泡になる。ですから、夫に一人、私に一人尾行をつけて夫との距離が安全圏まで離れたと分かった時点で事故の偽装工作を行う。私と私を尾行している方と二人で偽装工作すればすぐ終わるでしょうし、夫の動向ももう一人からの情報で確認できますから安心して計画を実行できます」
(この人凄い! そんな先のことまで考えて計画してるなんて。この人が言うとどんな無謀な計画でも成功しそうな気がする)
「二十三日の計画はこんな感じになりますが、疑問点や問題があれば言って下さい」
(う~ん、何かあるかな……)
「ありません」
(って、オイ! ちょっとは考えて発言しろハゲ!)
 不用意な発言に割り込み静音は止めに入る。
「ちょ、ちょっといいですか? 沙也加さんは死んだ後、つまり偽装工作を行った後、どこでどうされるんですか?」
「それについてはこれからお願いするところだったんです。私が事故に遭い生き返るまでの約四カ月の間に、仮の住まいと新しい戸籍を手に入れて頂きたいのです」
「住まいは分かるとして、戸籍もですか?」
「ええ、私もずっと幽霊のままじゃ嫌だもの。名前や年齢が違うものになったとしても、社会的な身分は欲しいわ」
「でも、戸籍なんて簡単に用意できるもんなんですか?」
 静音は隣を向いて当然の疑問を投げかける。
「ああ、可能だよ。ちょっとワケアリなところにお金を積めばな」
「へえ、そうなんですね」
 静音が感心していると沙也加はテーブルに分厚い封筒を差し出す。
「二百万あります。これを依頼料及び戸籍代等に充てて下さい。出来高は言うまでもなく五千万円です」
 高額な依頼料をも前払いとくれば断る理由もなく、男は即答する。
「分かりました。では先程仰られた計画を我々が全面的にバックアップしましょう!」
 差し出される男の右手を沙也加は握り返す。しかし、その一瞬、なぜか静音の方に視線を強く向ける。
(えっ、何? 私に何か言いたいことでもあるの?)
 静音の疑問を遮るかのように沙也加はバッグから小さな箱を二つ取り出す。
「一つ肝心なことを忘れてました。コレを常に持っていて下さい」
「これは……、盗聴器の受信機ですか」
 男は職業柄見た瞬間察する。
「さすがごに明察。その通りです」
「誰を盗み聞きするんですか?」
「私たち夫婦の会話を盗聴するんです。盗聴器は私の財布と夫のカードケースについています」
(へ? また何を言いだすのよこの人)
「あなたたち夫婦の盗撮は二十三日なんでは?」
 当然の質問に沙也加は微笑む。
「信頼と情報の提供です。私たちを常に監視することで私の言っていることの信憑性と、会話より最新かつ正確な情報が手に入ります。この盗聴器は高性能でかなり離れていても受信できるはずです。ハイキングでの尾行や私が死んでから以降、夫の動向をチェックするにも有効的に活用できるでしょう」
 またも繰り出される信じられないような発言を受けて、目の前の二人は固まってしまう。
(この人を形容する言葉はこれしかない……、凄い!)
「本気ですか!? 貴女は今日から一週間、旦那さんに至っては四カ月もの間、プライベートが筒抜けになってしまうんですよ?」
「会話だけですし、そう驚かれるほどプライバシーは侵害されませんよ。それに、この計画を成功させる為には私はなんだってする覚悟です」
(凄いよ、あんた……)
「分かりました。気を引き締めてこの計画を進めて行きましょう! 何かあるときはこの名刺の番号に連絡下さい」
 そう言うと男は名刺を差し出す。そこには『私立探偵 久宝竜也(くほうたつや)』と書かれてある。
「ありがとうございます。何かご相談があればご連絡します。それでは、私はこれで。来週の準備もありますので」
 名刺をバッグにしまうと沙也加は颯爽と店を後にする。竜也は溜め息を吐くと冷めきったコーヒーを一気に飲む。
「凄い人だな、言葉も出ない」
「同感です」
(天然のアンタと違って)
「俺たちも真剣にこの計画に取り組まないとな」
「はい」
(一番の不安要素がアンタなんだけどね。それにしても、さっきのあの目。何が言いたかったんだろ? もしかして、まだ何か深い裏があるのかも。ま、考えても分からないし、とにかく今は私の出来ることを確実にやっていくしかない。コイツはあてにならないし……)
 二百万円の束を嬉しそうに見つめている竜也がとても滑稽で、静音は小さく項垂れていた。

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