MAS-S~四角いソシオパス~
第七話

 遡る事、十二月十三日、水曜日、午後六時。仕事帰りのOLやサラリーマンが駅の改札口から吐き出されていく。家路に急ぐ者もいれば、これからデートを控えているであろうカップル、同僚と飲み会へと繰り出す者など、駅前は様々な人々で賑わう。
 その駅裏にある小さな喫茶店『ブランチ』に一人の女性が入ってくる。女性は店内を見回した後、男女のカップルが座るテーブル席へと淀みなく足を向ける。
 女性が二人の正面に座るのを確認するとウエイトレスである通雨早希(とおりあめさき)は注文を受けにテーブルへと向かう。
(男の方は若作りしてるけど三十代後半、隣の女の子は私と同じ二十歳くらいか。そして、今来た女性。綺麗でちょっとムカつくけど、二十五歳前後で服装からしてOLね)
 ブランチのウエイトレスを初めて半年、仕事に慣れてしまった早希はお客観察を趣味としており、耳を傾け他人のゴシップを楽しんでいた。今回ターゲットにしているこの三人組はまさに絶好の鴨であり、暇つぶしにはもってこいの雰囲気をしている。
(場の重そうな雰囲気からして、不倫がばれた夫とその若い愛人。正面の美人が妻ってところかしら? ふふふ、今日もこの私を楽しませてくれたまえよ)
 早希の頭の中ではこのような安直な図式が出来上がっており、気づかれないように三人の様子を覗き見る。
注文のコーヒーが出来上がると、素知らぬふりをして女性の前に運びに行く。早希が去って行くのと同時に、男は懐より一枚の写真を取り出す。勿論早希はそれに気がついている。
(出た! あれは間違いなく不倫現場の写真! 修羅場か? 修羅場なのか? むっちゃワクワクするー!)
 今後の展開を勝手に妄想しながら早希は遠目で、ことの成り行きを見守っていた。
「これが動かぬ証拠です」
 男は隠し撮りされた沙也加の写真をテーブルの上に置く。男の隣に座るポニーテールの女の子は真剣な表情で沙也加を見つめる。
「勿論元データは別の場所に保管してあります。宜しければこの写真は差し上げますよ」
 男の問いに沙也加は全く表情も変えず写真を見ている。その写真には沙也加が真里の自宅でタンスを物色している姿が写っている。
「しかし、まさか真里さんも友人である貴女が横領の罪を被せただなんて、夢にも思ってないでしょうね。この写真を証拠として捜査機関に提出すれば、新婚ホヤホヤで幸せの絶頂である貴女の人生も間違いなく破滅だ」
 露骨に脅してくる男に対して、沙也加は微動だにせずじっと写真を見ている。女の子もここに来て一言も口を開かない。視線を男に向けると沙也加は静かに言う。
「提出、なされないのですか?」
「いいんですか? こちらとしては穏便に事を運びたいんですがね」
 穏便という単語で沙也加は相手の目的を容易に悟る。
「お金、ですよね。目的は」
「正直に言えばそうです。しかし、別に聞きたいことが一つ。一体貴女はどのくらいの額を安原生命から騙し取っているんですか? 真里さんの件を含めると相当額だと推察されますが」
 楽しそうに聞く男とは対照的に、沙也加は無表情で答える。
「それは言えません。ただ一つ言えることは、今現在、銀行口座及び自宅にある現金も合わせて三百万円も持っていないということです」
「それはおかしい。こちらの調査では、貴女は高額の生命保険に加入していらっしゃる。この保険料はどこから出てるのですか?」
「それも言えません」
 沙也加はさらりと言ってのけ、男は溜め息を吐く。
(自分の立場がどんなに劣勢でも、必ず逆転できるような切り札をこの女は持ってる)
 ポニーテールの女の子こと雨宮静音(あまみやしずね)はそう直感した。
「言えませんでは通りませんよ竜崎さん。今の貴女の運命は我々が握っているということをお忘れではないでしょうね?」
(違う、この女には何かある)
 目の前に座って以降、ずっと沙也加を観察していた静音の直観は、話が進むに連れて確信へと変わっていく。
「そうね、確かに私は今かなり弱い立場にある。でも、仮にその写真を当局に突き出したところで、あなた方にメリットはないんじゃありません?」
「ええ、確かにメリットはありません。しかし、デメリットもない。貴女と私達ではその点が大きく違う」
(さて、どう出るかしら、この女)
 静音は内心この状況を楽しんでいた。



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