ビルの恋
翌朝、いつものようにシアトル・カフェに行くと、伊坂君がいた。

待ち伏せだ。

無視して通り過ぎようとすると、ついてきた。

「待って」

ホールで追いつかれる。

「・・・」

私は構わず歩き続ける。

伊坂君が話しだす。

「この間は無神経なこと言ってごめん。でも、正直な気持ちなんだ」

「伊坂君は、自分に正直にいられていいだろうけど。私の気持ちはどうなるの?」

「夏堀さんに不満があるとか、軽く見てるとかそういうのじゃなくて、今は誰とも結婚したくないんだよ」

伊坂君が懇願するように言う。

「二年の間に気持ちが離れたらどうするの」

「それは・・・」

私は立ち止まって言った。

「せめて、『待ってて』とか言えないの」

すると伊坂君は躊躇せず、

「結婚するかどうかわらないのに、そんな無責任なことは言えない」

と言った。

私は、そういう正論が欲しいんじゃない。

「私は、伊坂君とは違うの。女だから。
伊坂君は、三十三でも三十五でも、四十になってもモテると思うけど。
私には、そんなに時間は残ってないの」

ゲートを抜けると、エレベーター乗り場に本条君がいるのが見えた。
こちらには気付いていない。
扉が開いた。

私は駆け出す。
伊坂君を振り切って、あのエレベータに乗りたい。

「本条君!」

エレベーターに乗りかけた本条君が、こちらを振り返る。

「待ってて!」

わかったというふうに、本条君がうなずく。

「夏堀さん!」

後ろで伊坂君が呼んだが、私は構わずエレベーターに駆け込んだ。

「閉めて!」

本条君は、黙って言われたとおりに扉を閉めた。

そして、41階に着くまでの間、何も聞かずにいてくれた。

< 57 / 79 >

この作品をシェア

pagetop