ビルの恋

「俺から夏堀さんにアプローチしておきながら、自分勝手でごめん」

伊坂君は、ウィスキーグラスを見ながら言った。

「うん」

私も、自分のグラスを見ながら答える。
丸くて大きな氷が、綺麗だ。

「結婚申し込まれたんだって?」

紀美子さんだ。伊坂君に本条君のこと、教えたんだ。

「うん」

「どうするの」

「さあ」

「夏堀さん」

伊坂君が身体を私の方に向けた。

私も伊坂君を見る。

「もし夏堀さんが、今どうしても結婚したかったら、しよう」

結婚。
ようやく、伊坂君の口から待っていた言葉を聞けた。
でも違和感がある。
素直に喜べない。

「なんで気が変わったの?」

私は感情を抑えた声で、聞く。

「他の男に取られたくない」

伊坂君も淡々と答える。

「・・・伊坂君、頭いいはずなのに、たまにバカなこと言うよね。
本条君のプロポーズは、もっと素敵だった」

伊坂君は、私にバカと言われるとは思いもしなかったのだろう。
あっけに取られていたが、気を取り直して聞いてきた。

「バカってどんな」

「『もし夏堀さんが、今どうしても』とか、『取られたくない』とか。
結婚決める理由を、私と本条君のせいにしてる」

「そんなことない、好きだからだよ」

「でもこの間はっきりと、今は誰とも結婚したくない、って言ったでしょ。
たまたま状況が変わったからって焦って結婚決めたら、伊坂君、後悔するよ」

「・・・・・・」

図星だったようで、口の達者な伊坂君が何も言い返さなかった。

「部屋、取ってある?」

私たちはいつも、Bar54の後はBCS東京に泊まっていた。

「あるよ」

伊坂君は答え、私たちは席を立った。
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