不思議な眼鏡くん
「……なんです?」
響が咲を見下ろす。その表情のない顔に、咲は死ぬほど緊張した。

「なんで」
咲は、振り絞るように口を開いた。

「なんで、横山さんのことは断って、わたしのことは抱いたの?」
咲は答えを待ったが、響は黙って咲を見つめるだけ。

「『好きな人がいるから』って、横山さんを断ったんでしょう? じゃあ、なんでわたしを……あんなに優しく」
言葉に詰まる。

響はカバンをデスクに置くと、手をついた。
そしてため息をひとつ。

「その歳で初めてっていうのが、珍しかったから。興味ってだけ」

一瞬にして血が凍りつく。

「最初だっていう女には、誰にだって優しくしますよ。だって暴れられたら、できないでしょう」
響が笑った。

「勘違いさせちゃってたら、すみません」

咲は口を押さえて立ち上がった。

「ごめん……なさい、煩わせて」
涙がこみ上げてきたが、見せまいと顔を背けた。

「じゃあ、明日……」
咲はそれだけ言うと、逃げ出した。

あの人にとって、セックスは趣味だってわかってたことじゃない。何を今更、こんなにもショックを受けて。

全力で走る。

営業部のガラス戸の取っ手を掴むと、勢いよく引っ張った。

今すぐ死んでしまいたい。

ガチャンッ。

取っ手を掴んでいた手を、後ろから強く握り押される。
開きかけたドアが大きな音を立てて再び閉まった。

驚いて振り向く。

「ちがう。泣かせたいわけじゃない」

響が咲を引き寄せた。ぎゅっと、潰されてしまうほど強く抱きしめる。

「……え?」
咲はわけがわからず、押し付けられた響の胸の中で目を見開いた。

「ああ、ちくしょう」
響が呻く。

「好きなんだ。ずっと、最初から」
そう言うと、咲の頬を両手で挟んで、唇を奪った。
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