不思議な眼鏡くん
「あの」
すると突然、隣から声がかかった。

「……何?」
隣を見ると、田中 響(たなか ひびき)と目があう。

響は話しかけてきたくせに、何も言わず咲を見つめた。

二十三歳、今年の春に入社してきた新入社員。くせのある黒い前髪が、黒縁の丸眼鏡の半分を隠している。アパレル業界を志望してきた割に地味だ。無口なので何を考えているかよくわからない。ジャケットを脱いだワイシャツ姿だが、ひょろっとしていて薄さが際立った。

「……だから、何か用?」
咲はイラっとしてきつい声を出した。

「……いや、なんでもないです。あ、そういえば芝塚課長が鈴木主任のこと呼んでました」
「そうなの?」

思わずビクッとしてしまうのを、かろうじて我慢した。

「十分ほど前に、呼んでいらっしゃいましたよ」
斜め前に座る横山(よこやま ちづ)が、響を助けるように言った。

「東洋百貨店の件じゃないか? 隣の誰かさんがやらかした」
目の前に座っている西田 樹(にしだ いつき)が、少し不機嫌そうな声を出す。するとちづが首をすくめる。目が見る間に潤んできた。

「もうその件は済んでるから」
ちづをなだめるように咲は言ったが、先ほどシュレッダーをかけてしまった書類のせいで、未だに「済んで」はいないのだ。でもそれを芝塚課長が知っているわけがない。

咲は席を立った。
「大丈夫よ横山さん。この件が蒸し返されることはないから」

樹に目をやる。
「西田くん。終わったことに嫌味を言わないで」

「はいはい、鈴木主任」
反抗的な態度をとるのは、樹が咲の同期だからだ。咲が主任に選ばれたときから、樹は咲に敵意をむき出しにするようになった。

同期の男性の中では、割と話をする方だと思っていたのに。
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