差し伸べた手
それぞれの生活
「只今帰りました」

深々と玄関先で両親に頭を下げた。

「おかえり」

直は怒鳴られることを覚悟して家に戻ったが親父はまるで一ヶ月も家を空けた事を感じさせず、何もなかったように優しく迎えてくれた。

ただ母親は直を見るなり抱きしめ嗚咽を上げて泣いた。

しばらくして親父の部屋に呼ばれテーブルをはさんで正座した。

「会社には休暇ということで従業員に伝えてあるから心配するな。強引にお前を社長にしようとした事を許してくれ。そこまで追いつめていたとは思っていなかった。すまなかった」

今まで生きてきて初めて親父が謝っているのを聞いて申し訳ない気持ちで心が詰まる。

「それと小川の事だけど、あの後逮捕されたよ」

「え?」

「お前が失踪した後に小川が係わっていた仕事を別の人間が引き継ぎしていたら、架空発注や使い込みが発覚して一旦取り下げていた被害届を再び出した。前の時に被害届けを取り下げたことを後悔している。お前、失踪当日小川から連絡があったのだな。警察から聞いたよ。小川の携帯からお前への発信履歴が見つかって会社に問い合わせがあったからね。何を言われたか聞かないがそういうやつだったということだ。だからお前は責任を感じることもないし、俺が社員として雇ったことに責任がある。本当にすまなかった」

「何も言わずに仕事を放り出し家から出て行ってすみませんでした。会社は首にしてもらって構いません」

「何を言っているんだ。お前は何も悪くないし何でも押しつけてきた私に責任はある。今回の事で随分母さんに責められたよ。一度も私に口答えしたことがない母さんにだよ」と照れくさそうに笑う。

母親は父の言うことには従順で直の前でも親父の愚痴などは一度も聞いたことがなった。

傲慢な父親と一緒にやっていけるのは母親しかいないと思っていたほどだ。

その母親が親父を責めるなんてとても想像できない。

驚いている直を尻目に親父は続ける。

「お前が出て行った日、会社で何があったか聞かれたので話したんだよ。母さんはなぜ直の事を信じてやれなかったのかと私を責めた。私は直を信じていたと言ったが、すぐに警察に調べて貰わなかった時点で直を信じていなかったじゃないかと責められたよ。あの時直に対して疑う気持ちに一点の曇りもなければ警察に委ねたはずだと。内々で処理しようとしたのは直を守るふりして会社を守りたかっただけだとね。直がもしやったとしていたときの事を考えてあなたは警察沙汰を避けたかったのよとね。母さんのあんな怒った顔を初めて見たよ。おっかなかったな」と言って笑った。

「直、正直に話すよ。あの時ほんの少しお前の事を疑っていたかも知れない。もしかしてという気持ちがあったと言われれば否定は出来ない。体裁を気にしていたのも本当だ。母さんに息子を信じてやらないでどうするのと怒られたよ。なぜ私が直のことを疑ったのか、それは本当のお前がわかっていなかったからだと気づいたよ。居なくなった後もお前が行きそうな所、誰と仲がよいのか、行きたがっていた場所、好きな場所、何も答えられなかった。その点、母さんは違った。一番初めに直が北海道に居るのではないかと言ったんだよ。そしてお前がよく出入りしていたお店も数件まわって探していた。それなのに私は何もお前の事を知らなかった。母さんはお前の事を知っているからこそ、絶対にあんな事件は起こさないって自信があったんだよ」

母親が自分の事を懸命に探していてくれた姿を想像すると申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

母親にだけでも連絡をすれば良かったかも知れないと思ったがもう遅い。

そして今後の事は後日話そうといって親父は直を解放した。

東京を離れて電源を落としていた携帯に一ヶ月ぶりに電源を入れた。

会社、自宅、側近から怒濤のごとく留守番電話が入っていた。

「どこにいるのだ。取りあえず連絡しなさい。心配している」その中にお母さんの言葉も残っていた。

「直、あなたに何があってもどこへ行っても私はあなたの味方よ。それは忘れないで」

 翌日、一ヶ月ぶりに出社したがそのまま社長室へ行く。

「直、決まったか?」

「はい」
 
今まで親父が自分に選択権をくれたことはなかった。

しかし今回は会社に残るか社長になるのか直が考えて答えを出せばいいと言ってくれたのだ。

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