差し伸べた手
ここで何時間居ただろう。

直が居なくなってからこの床に座り込んで泣いていた。

連絡先も聞いていないしもう会えないのかも知れない。

昼間でも静かなのに夜を迎えると更に静寂の闇は深くなり寂しさが亜子を追いつめる。

しかし直がいた生活自体が特別で、あれは夢だったのだ、もう忘れよう、そう思おうとしたが直が残していったパソコンがその事実を確証に変える。

寂しさを打ち消すようにひとしきり泣いた後は普段通りの生活を心がけた。

朝食を作り通販の仕事をこなし畑に行き花に水を与える。

綺麗な景色を見て心を落ち着かせようとすると直の子供のような笑顔を思い出して辛くなった。

この生活には満足していたし、ここに来てから亜子の心は元気になり、好きな洋服を売る仕事もやりがいを感じていたし寂しいと一度も思わなかったはずだ。

ではどうして?

気づかないうちに直の事を愛していたからだ。
 
恐る恐る亜子は 「吉沢コーポレーション」と検索する。

キーボードを打つ手は少し震えた。

側近からもらった名刺に書いてある住所と合致するページを見つけた。

想像していたより大企業で驚くのと同時にあの有名雑貨のブランドを作っている会社なのだということに気づいた。

亜子もアパレル業界の端くれにいたのだ。

ここの雑貨店はセンスが良く幅広い層に人気があり特にトートバックは売り切れている事が多くてひとたび店に並ぶと数十分で完売していた。

亜子も上京した当時、この雑貨屋に行ったことがあったが、あの古びた寮の部屋にはこれらのお洒落な雑貨は似合わないと買うのを諦めたのだ。

自分の城を持った当初は可愛い雑貨に囲まれて過ごそうと思っていたが、いつのまにか仕事に追われ、ただ寝る為に帰る空間となってしまい、無機質なままになっていたのだ。

そんな有名雑貨店を展開する会社がまさか吉沢コーポレーションだとは驚きだ。

ますます直が遠くの人に感じてもう帰ってくることはないという思いが大きくなり悲しみで胸が締め付けられた。

自分は東京から脱落した人間で直は最前線で戦う人間でただ少し疲れて長い夏休みが欲しくなったのだろう。

そしてここで一ヶ月過ごしてリフレッシュし帰っていった。

たったそれだけのこと。

それ以上の意味は何もない。

亜子はこの場所で時間がとまってしまっているがもう直は時間の流れの速い東京で亜子の事なんて遠い過去として過ぎ去ってしまっているだろう。

亜子もいつか時間が掛かっても過去の事になるだろう。

ただ時間の流れが遅いだけで、いずれは過ぎていくだろう。

もう住む世界が違うし、再び会いに来ると言ったのは別れるときにそういえば悪者にならず綺麗に離れられると思ったからだ。

何と言っても直は亜子に対して優しかったが思いを伝えられたこともないし指一本触れられたこともない。

きっと直は私に対して特別な感情はなかったのだ。

たまたま困っているときに助けられた相手だということ、それだけだ。
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