神鳴様が見ているよ
3章 理和の想い
なんとなく、お腹の調子が悪いかな? っていう程度の違和感。
「え」
 カレンダーを指さして、ドクンと心臓が重い振動をして、すぐに、とっとっと、早い心音が耳に届いて、顔から、血の気が無くなっていく。
(ちょっと待って、お願い)
 もう一度、カレンダーの日にちを追う。
 お腹を押さえて、うずくまる。
(嘘、ちょっと待って。え? 嘘、よ)
「理和、どうしたの? 大丈夫?」
 うずくまったまま、母を見上げる。
「ん、お腹、調子悪くて」
「そういえば、理和、生理遅れてない? どこか調子悪い?」
「夏バテ、かな? それで、少し痩せたから、遅れてるのよ」
「そう、お腹は、壊したの? 薬は?」
 母の言葉で、ちらっと、頭によぎったこと。
 薬って、あんまり、飲んじゃいけないんだっけ。
 薬飲めば、無くなる、かな……。
 自分の思ったことに背筋がぞくっとして、体が冷え、気持ち悪くなってきた。
「ううん、まだ、いい。先に、トイレ行ってくる」

 ずるりとお腹の奥の下の方から、何かが抜けて落ちる感覚で、トイレを見る。
(な、に、……え、これ)
 そのまま、座り込む。どうしよう、助けて、お母さん。
「おかあさ、……おかあさぁんっ」
 トイレのドアを開けて、壁にもたれた。
「お母さんっ」
「どうしたの! 理和!」
 駆けつけた母の顔を見て、はっとする。
なんて言えばいいの。
「ト、イレ」
 母がトイレに入り、顔をしかめる。
 体がガクガクと震える。
血の塊みたいなの、どうしよう、何だろう、あれは、もしかして。
 立っていられなくて、廊下にしゃがみ込むと、水を流す音。
 トイレから、母が出てきた。
「おかあ、さん」
 母は、私を見ると眉間にシワをよせ、瞳を閉じて首を一回振った。
そして、私の前に屈んで、頭をなでた。 
「理和、病院に行きましょう。大丈夫よ、遠いところのに行くから、ね?」
 瞳を細めて、優しく微笑む母を見ていると、涙が出てきた。
「どうしよう、わかんない。なんで? おかあさん、ごめんなさい」
 口が勝手に動いて、思っていることが勝手に出てくる。うん、と言って、母は私を抱きしめて、背中をぽんぽんと子供をあやすように叩いた。
 
 泣きながら、母の車に乗って、しばらくして落ち着いたところで、
「相手は、誰? 言える?」
 一瞬、口を開いて、運転する母の横顔を見て、閉じてうつむく。
言えるわけない。
ふーっと、長いため息が聞こえた。
「蒼、か」
 すっと、呼吸が止まる。
ここで何か反応したら、バレてしまうから、ぐっと手を握って、踏ん張る。
母が、ちらっと、私を見た雰囲気がする。
「まさかとは思うけど、無理矢理?」
 自分の手を見ると、血管が盛りあがって出るくらいまで、拳を握ってる。
その手を、母が、さすってくれる。
「たぶん、流産したんだと思う。あれは、そういうことよ」
 体をぎゅっと縮める。トイレの水の中の指ですくえるくらいの血の塊、やっぱり。
「私も、同じことあったから、ね」
 ゆっくりと顔を上げて、母を見る。横目で私を見つめて、
「理和と蒼の妹か弟だったはずなの。そのあとは、授からなかったな」 
 思わず、お腹に手を置く。
いたらいいのにって思ってた妹か弟。
待ってて、望まれた命なのに。
 お腹を抱くようにして、体を丸める。
「理和? 具合悪いの? 止まろうか」
 首を否定するように振る。
「わ、たし、いらないって思った。薬でも飲んだら、いなくなるかも、なんて。だから」
 自ら堕ちちゃったんだ。
こんな薄情な私の中に居たくなくて。 
 カレンダーを見てた時、一瞬、これが、蒼をキズつけた、罰かも、なんて。
 でも、ほっとしてる。居なくなったことも、これで、蒼と同じくらいのキズを負ったんじゃないか、なんて卑怯なこと。
 後悔とか、懺悔とか、するくらいなら、癒されることないキズを負ったほうが、楽だなんてズルいこと考えてる。
 命に対して、罰だの、キズだの、……無くなること望んだり。
 こんなこと考える女、なの。
 こんな、女だったなんて、認めて、ゾッとした。
 蒼との子を、一瞬、いらないと思ったこと。自然に居なくなって、安心したこと。
 蒼に知られたくないと思う、こんな私。
 嫌われたくないと切実に思う。
 好きなひととの子をいらないなんて、思うなんて。ビクッと体が震えた。
「……っ」
 好きなひと、なんて、思うの、今頃、蒼への想いに気づいて。
 こんなことになるまで、気がつかなかった。
 なんて、バカな女なの。


 やっぱり、流産だった。
妊娠の跡があったけど、もうなにもないし、ハートビート(心音)も確認できなくらいでもともと死産だったんじゃないかという診断。 

 泣いたことと不安とで相当、疲れていたらしく、帰りの車の中は家に着くまで寝てしまった。
 母に支えられて歩き、部屋のベッドに横たわる。
「正直、私は、よかったと思うわ。これからのことを思うと」
「そ、だよね」
「このことは、お父さんには言わないから」
「ん、ごめん、ありがとう。お母さん、ごめんなさい」
「もう、いいのよ。忘れなさい、なんてのも、無理よね」
「ううん、私のせいで、お母さんも思い出しちゃったよね、ごめんなさい」
 母は、ううん、と言うように首を振り、それから、じっと私を見つめる。
「蒼には、どうするの」
「関係、ないから。なに、も」
『関係ない』蒼を突き放して、切るような残酷な言葉。
 すぐに、こんな言葉が迷うことなく、口から出てくる自分が許せなくなる。
 また、涙が出そうになって瞳を閉じる。
「そう、なの」
 母は瞳の高さを私と合わせるようにしてベッドサイドに座り、私の手を握る。
「あのね、理和……」

 あのね、理和。私と英司さん、理和のお父さんが結婚したのは、蒼のおかげなの。
 お互い、私は事故で、英司さんは病気で連れを亡くしてるのは、知ってるわよね。
 蒼がね、理和の話しばかりするの。
理和ちゃんと絵本を読んだとか、お昼寝は隣で寝て、いつも一緒に起きるんだよとか、理和ちゃん、園のピアノ弾いたのとか、ね。
理和が園を休むと、もう面倒くさいくらい、ふてくされて。
 それで、保育園の行事で英司さんと話すことが自然に多くなってね。
 私、理和を初めて見た時、可愛くて、こんな女の子欲しいなって。
英司さんは、蒼をすぐに気に入って、遊びに連れて行きたがった。
 英司さんと私は、保育園のお迎えの時間が違うから、そこで会うことも少なくて、お互い、約束して会うようになったの。
 ある時、蒼が理和ちゃんのピアノ弾くの好きって言ったら、英司さんが、ここの家に招いてくれて、お邪魔することになったの。
 蒼なんて、そうね、今と同じ、椅子に座って理和の側で聴いてるの。
ふたりがニコニコして、そうしてるのが、本当に可愛くて幸せそうで、引き離すのしのびなくて、このままでいいんじゃないかって。
 英司さんも同じだったみたいで、一緒に暮らそうと言ってくれたの。
おばあちゃんも、すぐに認めてくれて。
 理和は、すごく喜んでたわよね。
 蒼はね、アレは、喜ぶより先に、自分たちも一緒に結婚できる? って言い出して、わかるように説明するのにどれだけ、私と英司さんが大変だったか。ホントに面倒くさい……じゃなくて。
 今は、とりあえず姉弟になるけど、大きくなったら結婚できるよって。
 蒼を理和は、血のつながりがないんだもの、一緒になれる。
 でも、いつまでも、蒼も片思いのままでいられない。ココロもカラダも大人になる。
 おばあちゃんが亡くなって理和と家にふたりきりになることが多くなって、このままじゃ、しんどいって、高校行くとき、家を出たいって言い出したの。 
 私も英司さんも何も言えないのよ。
蒼の気持ち知ってて、私たち一緒になったんだもの。
 ほんの少し、蒼を見くびってたのもある。成長したら、理和への感情も変わるんじゃないかって。 
 だから、蒼が理和の姿を追うように見てるのを見ると、本当に申し訳なかった。
 ただ、蒼の高校は家が近くにあるから、ひとり暮らしを認めてくれなくて、大学からになったんだけど。
 もし、私たちが結婚してなかったら、蒼はひとり暮らしなんてしなくても、理和と大ぴらにつき合うことができるのに。
 それでも、私たちを責めるのでなく、自分から、理和と距離を置こうとして、家を出て行ったの。
 蒼をかばうわけではないの。ただ、蒼の想いを犠牲にして、一緒に暮らしてる私と英司さんは、蒼に、理和のことでは、何も言えないの。

「ごめんね、理和」
 涙がとめどなく、あふれる。
居心地がいいことに安心して、鈍感過ぎた。それは、蒼の我慢で成り立っていたのに。
「わ、わ、たし、どうしたら、よかったんだろう。蒼、ちゃんと考えてくれてて、真剣で。お父さんとお母さんにも言うって」
 私の手を握っている母の手が、ぴくっと反応して、ふうっと、ため息が聞こえる。
「やっぱり、蒼だったの」
 母の顔を見れなくて、天井を見つめる。
「私は蒼にそこまでの想いがあるのかなって。わかんなくて、今まで通りでいい、なんて」
 蒼の『好き』は、私にいつも想いを伝えていたんだ。小さい頃から、ずっと。
 どんな気持ちで私を抱いたんだろう。やっと、って、きっと、思ってたよね。
 それを、私は、踏みにじったんだ。
蒼の長い間の想いを、自分の居心地のいい生活を守るために。
 今も『関係ない』なんて、切り離して、なかったことにしようとしてる。
 ごめん、蒼。私は、本当に薄情で非道いんだよ。
 でも、もう、なにもない、なにも残っていない。
 蒼に知られなければ、本当に、なにもなかったことになる。
「蒼に、は、言わないでね。なにもなかったことにするんだから」
「理和、でも……」
「蒼の想いに添えなくて、キズつけたの。これ以上は、もうイヤなの」
「そう」
「ごめん。お母さんにだけ、背負わせてしまうことになる、ごめんなさい」
 首をひねり、母を見ると、ゆっくりとうなずいてくれた。
「それは、全然、かまわないわ、理和のことだもの」
「ありがとう」
 私も蒼を想っていたんだよ、いつからか、わからないくらい。
 なにもなかったのであれば、いつか、添うことができたのに。
 なにもなかったことに、なってるけど、もうダメだ。
 好きなひととのことなのに、無かったことになんて。
 好きなひととの間の命も、未練なくて。
 私は、非道い。それは、一生、許せないこと。
 蒼には、言えない非道いこと。
 いつか、なんて、思うのも、図々しいね。
 許されることがない限り。
 それは、蒼にも、私自身にも、永遠にない許しだね。
 ごめんなさい、蒼。
 許さなくていいから、何度でも、謝るよ。
 でも、聞きたくないだろうから、いつもココロに秘めてるよ。
 ごめんね。
< 5 / 20 >

この作品をシェア

pagetop