神鳴様が見ているよ
4章 離れる想い
父が、舞台のチケットを二枚、貰ってきた。
「理和は、どう?」
「ん、私はいいよ。その俳優、お母さんが好きでしょう? たまには、ふたりでそういうの楽しんで来たら?」
 母が、チケットを受けとって、しかめ面。
「だめよ、この日、理和の誕生日じゃない。貰ってくるとき、なんで気がつかないのよー」
 父が、封筒を出し、それを振って見せる。
「イヤ、これに入ってたのを、そのまんま、受け取っただけだからさ」
 私は、両手を振りながら、いいよ、いいよと、ふたりの間に入る。
「それいい席だし、行っといでよ。誕生日のお祝いなんて、美味しいケーキがあれば、十分よ」
 母が、少しすねたように、唇を尖らせて、
「でも、せっかく……」
「いいよー、誕生日なんて、来年もあるし、ケーキと豪華なデパ地下惣菜で手を打つ」
 両親共々、考え込む。あと、一押しかな?
「友達とカラオケ行ったりするし……」
 母が、パンっと手を叩き、
「蒼を呼ぶわ。アレに祝ってもらいなさい。そういう理由ないと寄り付きゃしないから」
 父も、ぱっと、表情を明るくして、こちらも、手を叩く。
「そのほうがいい。泊まってけって言っといてよ。俺も蒼と酒が飲めるの楽しみだったんだー」 
「で、でも、蒼も用事とかあるんじゃ……」
 母は、ぐっと親指を立てて、ウインクした。
「大丈夫! 弱味、握ってんのよ。何を差し置いても来させるわ」
「お母さん」「母さん」
 父と目が合った。思いは同じ、
(どんな弱味なの?)


 母が、携帯端末を見ながら、
「明日の四時過ぎに来るって」
「来るんだ」
「当たり前よ。で、蒼にエスコートしてもらって、どっかでごはん食べなさい」
「え? いいよ。ホント、デパ地下の惣菜で」
「ダメ、せっかくの記念日なんだから、男にエスコートしてもらうの。腐っても、アレ、一応、男だから」
 腐っても、とは、エライいわれようだな。
母は蒼に容赦ないな、私には甘いくせに。
 そのかわり、父が、蒼を溺愛。
帰省すると、必ず、ふたりでどこかに出かけるし、また家を出る時は、次に来る日にちを決めてからじゃないと、玄関で座り込んで、靴を履かせない、子供じみたことをする。
「蒼、来るなら、久しぶりにシチュー煮込もうかな」
 蒼の好きなビーフシチュー。
しばらく、彼に作っていないから。
「いいわね! 私も食べたい。蒼のバースディに食べるのが、ちょうど、いいんじゃない?」
 母も嬉しそうだ。そうなると、気合が入る。
「材料買ってくるね」
 差し出された財布を受け取ると、母が、私の頬を撫でる。
「理和、いいのかな? 蒼で」
 口元は笑えるのに、母の瞳が見られない。
どういう表情をしたら、いいのかわからなくて。
「ん、うん。蒼、嫌がってなきゃいいけど」
 母が私を痛そうな顔で、見つめてる。それで、ようやく微笑むことが出来た。
「大丈夫。ありがとう、蒼に祝ってもらえるのなら、嬉しいの。ホントよ」
 納得するように、母は、何度もうなずいて、
「行ってらっしゃい。シチュー楽しみだわ」
「はい」 
 
 シチューの味見をして、蓋を閉じる。
 冷蔵庫には、コーヒーを冷やしてある。
蒼の部屋を掃除して、洗濯も取り込んで片づけたら暇になった。
(ピアノ、弾こ) 
 この前、テレビで聞いた昔の曲が気に入って、楽譜にした。
ここから、自分で好きなようにアレンジしていく。
   
 たまに、祖母がやっていた教会や近所のレストランウェディングの演奏を頼まれて弾くこともあるから、指が鈍らないようにしている。

「お、っと」
 ミスタッチ、半音違ってた。集中力が途切れて、鍵盤から指を離す。手をブラブラさせながら、時計を見る。
(あとちょっと、か。蒼、まだかな)
 
 ふたりで一緒に出かけるなんて、ホント、久しぶりどころじゃないくらいだし、バースディを蒼とふたりで過ごすなんて、考えたことなかった。
 お金は、蒼の口座に振り込んであるらしいから、そういう心配はしなくていいと言われてる。
 昨夜も服をどうしようと、クローゼットを開けて、よく出来てるシチューでごはんでもいいじゃないかと思ったりして、閉じてしまった。
 でも、蒼は、母に脅迫されて来るんだって、思い出した。
 でなきゃ、私とふたりきりなんて、ないよね。
 だとすると、ウチだと重苦しくなるだろうから、外の方がいい。だから、蒼はOKしたんだよね。
 バースディ、記念日だもの、少しくらいは、前のように話せるといいな。
 それ以上は、望めないけど。
 また、そんなに時間の変わっていない時計を見る。
(早く、来ないかな、蒼)
 服を選ぶ時間が欲しい。
どうせなら、エスコートしてくれる蒼のスタイルに合う、服を選びたいと思う。
 傍目には、コイビト同志に見えるように、なんて。
 そんなの、これが最初で最後かもしれないから。
 でも、とりあえず、笑顔で、ちゃんと、
「おかえりなさい」
 って言わなくちゃ。

 また、タッチミス。
ちょっと、らしくないなと思って、ほっと一息つく。
 緊張してるんだな、蒼のことで。
 もう一度、時計を見て、
(四時過ぎた、もうそろそろかな)
 外の様子を見るために、窓を開ける。
「あれ? 木村君」
 開いた窓の向こう、庭のフェンス先に高校のクラスメイトだった木村君がいた。
「あれ? なんだ、ここ、君んち? もしかして、さっきまでピアノ弾いてた?」
 窓の下にあるサンダルを履いて、彼の方に向かう。
「そう、ミスって、中断したの」
「え、わかんなかった。そっか、好きな曲だったから、もう一回、聴けないかなって、待ってたんだけど」
「ごめんね。もうすぐ、家族が帰ってくるから、やめようと思ってたとこなの」
「そうかぁ、残念。でも、上手だなー、知らなかったよ、ピアノ弾くの」
「趣味で弾いてる程度だもん。人に言えるほどのものじゃないから」
「でも、よかったよ。曲が、なんかキレイっていうか、澄んでるみたいに聴こえた」
「そうなの、軽目になるように、キーを少し上げてるの。わかるんだ、すごいね」
 木村君は、嬉しそうに笑った。
「君のが、好きだな。もう一回、聴きたい。弾いてくれないかな」
 私以外いない家に男の人を入れるのはどうだろうか、でも、蒼がもうすぐ来るだろうし。
 外は暑いし、ここにいてってのもな、曲は五分ちょいか。
「じゃ、あの窓から入って。ピアノの部屋なの」
 椅子を、と思ったけど、あれは蒼のだから。
 窓に背を持たれてる木村君に、
「ごめん、近くで見られるの苦手だから、そこで、聴いてて」
 彼は、うなずいた。ちらっと、時計を見てから、ピアノに向き合う。
 楽譜を見ながら、さっき、タッチミスしたところを気をつけて、奏でる。
 近くで人に見られるのに緊張して、いつもより集中して鍵盤に指を置いていく。
 だから、門と玄関が開いたのに、その音を聞き逃して。

 ノック一回、ドアが開いて、
「理和?」
 と呼ばれるまで、気づかなかった。指が止まる。
 ドアの方を見ると、私ではなく、無表情で窓辺の木村君を見つめる蒼がいた。
 木村君は、きょとんとしてから、私と蒼を交互に見る。
 白のシャツに紺のジャケットとパンツ姿の蒼は、いままで、見たことのない大人の男の人のような佇まい。
 ほんのすこし、見とれて、はっと我にかえる。
 慌てて立ち上がり、蒼の方へ足を向けると、椅子の足につまずいて、前のめりになった。
膝を打つ直前に、蒼に抱き止められて、しがみつく。
「ご、ごめん。あ、あのね」
「アイツ、誰? ナニ?」
 蒼は、木村君に聞こえないように、耳元に低い声でささやく。蒼と高校は別だったから、木村君のことを、知らないのは当然だ。
「高校の同級生でね、私のピアノ、外で聴いてて、よかったって言ってくれて。聴きたいって言ってくれたから」
 彼から、体を離して、木村君の方へ向かう。
「お、弟です。彼が帰るのを待ってたの」
 木村君は、ほっと、顔をゆるめて、微笑んだ。
「僕は、木村って言います。彼女の演奏が聴きたくて、お願いしたんです。そっか、待ってる人が帰ってきたんなら、帰るね」
 と、窓を開けて、出ていく。
「ごめんね、途中で」 
 木村君は、振り返って、手を上げる。
「いいよ、また、聴かせて」
 返事をしようと、窓に近づくと、手が伸びてきて、乱暴な音を出して窓を閉め、鍵をかけられた。
 むっとして、蒼に顔を向けると、瞳を薄くして、どこを見てるかわからない目つき。
何も言えなくなるくらい、冷たい表情をしていた。
 怖くて、彼から離れようと、肩を動かしたら、窓に背中を ドンっと音がするくらい押し付けられた。
 はっと、視線を窓の外に向ける。
 窓の外、門に向かう足を止めた、木村君がこちらを見てる。
 手が下から伸びてきて、顎を持ち上げられた。苦しくて眉をひそめると、視界がほんの少しになる。 
 すると、覆いかぶさるように唇を塞がれた。
「う」
 空気が欲しくて、少し口を開くと、さらに強く唇に圧がかかる。
そのまま、わたしの唇を割って、彼の唇が入ってきた。
 蒼の胸元を掴んで背伸びをして、口をずらそうと、頭を横に動かしたら、空いて手で後頭部を抱え込まれた。体も押し付けてくるから、もう身動きが取れない。
 細い視界がかすんでいるのは、息が出来ないのと、今を現実として認めたくないから。
(も、やめて)
 つま先で立ってる足から、カラダ全体に震えが伝わる。 
 ふんっと、バカにしたような鼻を鳴らす音。急に、口へ空気が入ってきた。
「やっと、行ったか」
 びっと、音がした。固い筋肉を撥ねただけで、指先が痛い。
 彼を睨み、窓に背を預けたまま、ずるずると滑り落ち、床に腰を置く。
蒼は左頬を押さえながら、瞳を半分にして私を見下す。
「なんで? なんでこんなことすんの」
 また、さっきと同じように、ふっと鼻を鳴らす。
「そっち、わざとじゃね? もう俺が来ることわかってて、男連れ込んでるなんてさ。試されたとしか、思えないね」
 彼を引っ叩いた指先を胸に抱く。
「違う! ひどいよ! そんなんじゃないっ」
「非道い、のは、そっちだろ! アイツなんなんだよ!」
「いっ言ったじゃない。同級生で、通りすがりよ! 私が弾いてたの、聴きたいって。それだけよ!」
「ソノ気もないなら、思わせぶりすんな。次の約束なんて、気ぃ持たせる方が残っ酷って思わねーのかよ!」
 うつむいて、違う、違うと首を横に振る。なんで、蒼が木村君に見せつけるような、あんなことをする必要があるの? だって、
「弟って、紹介したのに、あんなこと……しなくても」
「おとーと? あんなこと? キスの事? は? もうヤッテるのに? 俺と理和」
 指先の痛みが体のあちこちを刺す。つきん、つきんと刺されて、体の力も奪っていく。 顔を上げる力さえも、尽きた。泣きたいくらいのことを言われてるけど、このことでは、涙も尽きている。
「血の繋がり、ないだろうが! たった一日、誕生日違うだけで、弟なんていうな!」
 本当は、『おかえりなさい』って言いたかったのに、なんで。
「ごめん……、叩いて、ごめんなさい」
「理和」
「全部、私が、悪い。ごめんなさい、も、ひとりにして、少しでいい、から」 
 ちっと舌打ちが聞え、びくんと肩が跳ねた。
 足音が離れて、ドアが閉まる。
ほーっと、体の中の空気を全部吐きだすように、長い息を吐き、床に寝転がる。頬に触れる床の冷たさで、体に力が戻ってくる。
 体の向きを変えて、窓の外を見る。
 入道雲が、いつのまにか灰色の雲になって、細い稲妻が見えたような気がした。
 神鳴様が来ると、なんとなく眠たくなる。
これは、小さかった時、祖母に神鳴様が来ると『眠っちゃいなさいな』と言われて眠ってたせいだと思う。
 雷鳴のゴロゴロが近づいてくるのが聞こえてきて、瞳を閉じる。

 
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