いつも、雨
出逢いは、覚えてない。



物心ついた頃には、彼は「京都」と「おばあさま」とセットで存在していた。



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領子(えりこ)の家は、はるか平安時代に昇殿を許された堂上家だった。

千年以上もの長きにわたり、京都の御所のそばに邸宅を構えてきた。

江戸時代には多くの貴族同様に貧困に喘いだが、明治の世になると華族に取り立てられた。

東京に邸宅を構え、華やかに暮らしていたが、昭和初期の金融恐慌で貯蓄をほとんど失った。

それでも貴族院議員として給与を得て、体面を保つ程度の生活はできていたが、戦後に華族制度が廃止された後は惨めなものだ。

公職追放の後は、各地に所有していた不動産や美術品を売って何とか家を維持した。

また、裕福な名家との婚姻や、成金の子女や花柳界の女性との一時的な養子縁組で莫大な結納金を得ることもあった。





そんな金銭的な苦労はつゆ知らず……領子は、天花寺(てんげいじ)家のお姫さまとして、東京で生まれ育った。





「よろしいですか。おばあさまにわがままを申し上げて困らせてはいけませんよ。それから、使用人の子とは口をきいてはいけません。」

くどくどとお説教を繰り返す母を、恭風と領子は神妙にうつむいてやり過ごした。



天花寺家の現当主の母……つまり、領子の祖母は、夫の死後、京都の邸宅で隠居している。

独り暮らしの祖母を案じて、一家は、年に何度も京都を訪れる。

年末年始は勿論のこと、春秋のお彼岸のお墓参り、庭の枝垂れ桜のお花見、ゴールデンウィーク、お盆、紅葉狩り。


かつては当然のように一家で共に行き来していたが、子供達が学齢に達すると事情が変わった。


当たり前のように長期休暇を海外や別荘で過ごす級友の手前、ずっと東京にいることは子供心に恥ずかしかった。




兄の恭風と共に領子が、両親と離れて京都の祖母のもとで長期休暇を過ごし始めたのは、学習院幼稚園で1年過ごした春休み。



「では、ねえや。頼みましたよ。」

母は、信頼する上女中を子供達のお目付役に残して、一足先に東京へと戻って行った。


両親を乗せたタクシーが小さくなると、恭風はホッとしたように脱力した。
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