いつも、雨
新聞を開いた要人(かなと)の目に、見知った名前が飛び込んできた。


黒い枠で囲まれた、スペースを贅沢に使った訃報広告。

妻の佐那子(さなこ)の父親が前日に亡くなったらしい。


このタイミングで……か……。


要人は、舅であるはずの男の冥福を祈るより先に、運命の悪戯としか思えない時機を嘆いた。



昨日、東京のホテルで、領子(えりこ)が要人との逢瀬を、領子の舅である橘千秋氏に見咎められた。

千秋は既に、百合子が父親であるはずの橘千歳氏の子供ではないことを知っていた。


嫁の不貞を目の当たりにしてなお、家族として守ろうとする千秋に、要人は感銘受けた。

そして、自分自身は、千秋と真逆のことを断行する決意を固めた。


……何の落ち度もない、かわいい妻子を捨てる……。


さすがの要人も、考えただけでも罪深さに胸が痛む。

しかし、いつか……おそらく、そう遠くない未来に起こり得る、領子の放逐に備えたい。



あの、意地っ張りな、領子さまのこと。

俺の家族に遠慮するに決まっている。



未確定な、それも自分の希望的観測のために、家族を不幸に陥れたくはない。

経済的な保証、社会的庇護は、生涯約束したとしても……なるべく淋しい想いをさせないために、どうすべきか……。


要人は、今さらながら、佐那子とご両親の間を取り持とうとしていた。

実家と絶縁してまで自分を選んでくれた佐那子にできる、せめてもの罪滅ぼしになれば……と、考えた。


しかし、その前に、佐那子の父親は亡くなってしまったという。


……橘千秋氏といい……佐那子の父親といい……要人と領子にとっては、どこまでも無視し得ない大きな壁として存在していた。

2人にとっての義理の父親が、揃って、不義密通を反対し、戒めているような気がした。




「佐那子。……お義父さまが亡くなったそうだが……実家から連絡はあったかい?」

朝食準備のためにキッチンで格闘している妻の背中にそう尋ねた。


「……。」

びくりと佐那子の肩が揺れた。

何も答えないが、小刻みに肩が揺れ始めた。


「佐那子?」

要人が近づくと、佐那子は目にいっぱい溜まった涙が振り払われる程に勢いよく、飛びついてきた……包丁を持ったまま!
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