物語はどこまでも!

ーー

文字通り、彼は黄昏れていた。

水平線の彼方に沈む夕日を浴びながら、何をするわけでもなく座っていればそうとしか当てはまらない。

彼に至っては、なかなかにその様が似合う。憂いを帯びた横顔は芸術的価値ある造形美でもあったが、いかんせん、彼が腰掛けている物はその芸術性を損なうほどの違和感があった。

「旦那でも、そんな顔をなさるんですねぇ」

むくりと腰掛け、もとい、大きな陸カメが頭を上げる。珍しい光景だと言うカメこそが珍妙であるが、それはこの世界では通用しない。

動物だけでなく、草木も、あるいは太陽や雲、星までも人語を解し、意思を持つ世界。
決められた運命を歩む者たちの中で、彼は異質であった。

どこの世界にも属さない彼。せめて名前を求めても名乗らないため、住人たちはそれぞれ好きに呼んでいた。

どこからともなくやってきて、何をするでもなく、気まぐれに行動をする彼。ゾッとするほどの美しさに相応しい冷酷な人だと、初見で誰もが抱く印象であるが。

「手前は、岩と同等です。たまに相づち打つぐらいのことしかやらないもんですから、これからどんな言葉が聞こえても驚きやしませんよ」

カメは、知っていた。
彼はその実、酷く寂しがりやであると。

誰とも接したくなければ、自室に鍵をかけていればいいものの、時折こうして物語界に入ってくる。遠目から自分たちの様子を見る姿は、仲間に入れずーー入り方が分からずにいる子供と同等。無論、彼の見目は大人だし中身でさえもそれ相応。単なる性格の問題だ。素直に寂しいと言えない人。こちらが声をかけても輪に入らず去ってしまう自尊心が高い人でもある。

そんな彼の相手は岩に徹しているのがいいだろう。勇気を出して近づいてきてくれたんだと思えば、ぶっきらぼうな態度も可愛げがある。

「……、お節介なカメだ」

含み笑いをしながら、相づちを打つ。そんな頭に手を置かれた。


「俺は、何なんだろうと考えていた。お前たちは存在すべき場所に産まれ、生きている。例えそれが決められた運命を何度繰り返すことになっても、お前たちは必要だからこそ産み出されたんだ」

撫でる形となった彼の手のひら。カメのくせに温かいな、と呟く。

「俺は、物語のどこへでも行ける。けれど、どこにも俺の居場所(役)はないんだ。“部外者”たる俺は、いったい何のために産まれたのかって、ふとした時に考えるんだ。

母も父もいない。気付いたら、ここにいた。何をしろとも言われず、名前も与えられず、ただ生きていた。最初の内はそれでもいいと思っていた。自由気ままにするのも悪くない。暇ならば、お前たちの物語を覗けばいい。ーーけど、そんなことを何十年と繰り返せば飽きてしまうんだよ」

「それはひでえ話ですな、旦那。手前どもは、飽きたとしてもこれから先、また何十、何百年とこの話を繰り返さなきゃなんねえんだから」

「それでも、お前たちは一人じゃないだろう。みんながいることが、羨ましくなるんだよ。一人はみんなのために、みんなは一人のために。物語を進めるがため、与えられた使命をこなし、またみんなで物語を始める。そんな輪が、とてもーーとても、綺麗に見えるんだ」

手が離れる。立てられた片膝に額を置き、彼はしばし沈黙した。

「“部外者”の俺が、そんな輪に交じることがひどくいけないことだと思った。壊してしまわないかと不安に駆られる」

「ハハッ、乙姫さまや雌タコに求婚された時、海を干上がらせるぞと凄んだ野郎の言葉とは思えませんねぇ」

カメの軽口に、それは言ってくれるなよと彼は顔を上げる。

「みんな、あんたを好いてますぜ。“部外者”なんて言いなさんなよ。わざわざ、寂しいことを言って目を瞑るなよ。旦那が見えていないだけで、『居場所』は足元にいくらでも転がってるよ」

「お喋りな岩だな」

カメの甲羅を軽く叩く。

「すみませんねぇ。岩は岩でも、お節介岩なもんで。今度腰掛ける時はご注意を。ーー旦那が求めているもんはきっと、手前どもでは埋められないものなんだろうな。残念だが、悲観することもねえさ」

カメの言葉に、どうしてだ?と返した矢先、「カメをいじめるなー!」との声が聞こえてきた。

「旦那、死なないんだろ?なら、生きていればその内、望むモノが手に入るだろうさ。人生、生きていればその内何とでもなりますぜ」

「ずいぶんと、お気楽な考えだな。何十年先と分からない未来に期待するか」

「分からないからこそ期待しとくもんさ。その間、寂しくなったらここにまた来な。お節介な岩で良ければ相手してやりますよ。手前も暇してましてね。カメをいじめたくない奴らのせいで、ここで永遠と待っているのはーーそれこそ、飽きてしまいますから。旦那が来てくれた方が丁度いいですよ」

釣り竿を片手に持った青年が近付いてくるのを見計らい、彼はこの物語界から出て行く。


「“それ”じゃ駄目ですかねぇ」

「物足りないと思う俺が、ワガママなんだろうさ」

どうしようもない空虚感は埋まらない。
きっとこれは、誰でもいいというわけではないんだ。

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