あなたに捧げる不機嫌な口付け
『恭介』

『は?』

『恭介』

『恭介さん、が限度』

『恭介』

『恭介さん。これ以上粘るのはやめてくれると嬉しいかな』

『……うん』


あの日、恭介と呼んで欲しがった俺に、祐里恵はぴしゃりと線引きをした。


限度、だなんて。粘るのはやめて、だなんて。


きつい言葉で牽制して、たまに諏訪さんと呼び間違えながら、線引きをし続けた。


今はちゃんと知っている。祐里恵の中で定着しただけなことも、情が込もっていることも分かっている。


でも、我がままを言うなら、一つでいいから、小さな証が欲しい。


関係が変わった証拠が欲しい。


一つだけでいいから。


明確な、拠りどころが欲しい。


唇を噛んでから、一度小さく深呼吸して。


「…………困るよ、そういうのは」

「知ってる」

「……ずるいよ」

「知ってる」


でも答えてくれるんだろう?


答える気がないなら、祐里恵は初めから口を開かない。


「…………あの」


視線を泳がせながら俯いていた顔を上げて、弱り切った表情で眉を下げた。


「……呼び慣れたっていうのもあるんだけど。恭介さんの周りに、恭介さんって呼ぶ人は他にいなかった、気がして」


違う? と顔を上げる。


揺れる瞳に俺が映っている。


「っ」


そうだ。その通りだ。


知り合いはみんな名前で呼んだ。

女性は特に、恭介、と呼び捨てにした。


「だから、ずっと恭介さんって呼んでて。恭介さんって呼びたくて。……駄目かな」
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