時の歌姫
やだ、もう行っちゃったの?

一言お礼が言いたかったのに。


あせってめぐらせる視線の先に、

遥か向こう、ビルの影を曲がろとしてる背中がかろうじてかすめた。


パープルのボーダーTシャツに、デニム。

真っすぐな背中はやけに背が高くて、

肩先でまるまったアッシュグレイの毛先が揺れている。

彼だ!


「待って!」

声をかけて走りだそうとしたのに、


「ミチル!」

後ろから誰かに強く肩をつかまれた。


「ヤス兄」

振り向いて見つけたのはさっきまで必死で探していた、顔。


一瞬振り向いたような気がした彼の姿が曲がり角に消えて行く。


肩に降り掛かる雨が、あたしの体を冷やしていた。
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