凄腕救急医は離婚予定の契約妻を湧き立つ情熱愛で離さない
「すまなかった」
朝食の配膳に現れた美鶴に透は頭を下げた。突然のことで面食らうがすぐに謝るのは自分のはずだと思い至る。
「志木さん、頭をあげてください!」
持っていたトレイをオーバーテーブルに置いて、ベッドサイドで透を見上げるようにしゃがんだ。そして丁寧に言葉を紡ぐ。
「私の方こそ、すみませんでした。志木さんのこと何も知らないのに分かったよう口をきいてしまって。反省しています」
「それは俺の方だ。同じような事故で両親を亡くしたって……」
透は途中で口を噤んだ。尾見が話したのだろう。口止めされたのについ、口に出てしまったといった様子だ。透はバツが悪そうに視線を外した。
「聞いたんですね? 尾見さん、おしゃべりだなぁ」
「申し訳ない」
尾見を責める気は毛頭ない。このことを知って透が両親の事故の話を聞いて考え直してくれたなら本望だ。
「大丈夫ですよ。町の大人はみんな知っていることなので。全国区のニュースにもなりましたから。それももう十年も前の出来事です。忘れようと思ったけど、出来なくて……事故の患者さんをみるつい……」
必死になってしまう。両親と自分とを重ねてしまう。“それじゃあ医療者として失格よ”そう言ったのも尾見だった。時には割り切ることも必要だと、それがこの仕事を長く続ける秘訣なのだと教えてくれた。
「辛い経験をして、同じ思いをしている人を救いたいんだろうな。だから君は懸命に俺に関わろうとしてくれた。それなのに偽善だなんて言って申し訳なかった」
「謝らないでください。でももう二度と、あんなこと言わないで欲しいです」
「分かったよ、約束する」
力なく笑う透に美鶴は安堵し、同時に全身の力が抜け床に座り込んだ。透が慌てた様子でベッドから降りてくる。
「お、おい。大丈夫か?」
「平気です。実は昨日眠れてなくて……安心したら力が抜けちゃいました。あはは、みっともないですね」
美鶴は自嘲の笑みを浮かべる。すると透は眉尻を下げた。途端に優しい顔つきになる。
「優しいな、君は……ああ、すまない。名前は?」
美鶴はポケットにつけた名札を透へ見せた。嬉しかった。すべてを拒絶していた透が自分の名前を知ろうとしてくれている。
「白川です」
「白川さん、立てる?」
差し出された手は色白でほっそりとしていて、でも関節の節が目立つ男性の手だった。つい意識してしまい掴めないでいると、「ほら」と催促される。おずおずと手を伸ばすと力強く引き上げてくれた。
「すみません。患者さんにこんなことさせてしまって……」
「かまわないよ。君には恩があるからね」
「恩だなんて、そんな」
恐縮したように首を横に振った。
「なにかして欲しいことはある? とはいえ、今の俺にできることなんてないに等しいけど……」
確かに病床にいる透にできることは少ない。それでも美鶴を思って言ってくれたことが嬉しかった。
「ありがとうございます。じゃあ、今度東京のこと教えてください」
「東京の?」
「はい。いつか行けたらいいなって、思っていて」
「観光?」
「それももちろんしてみたい事の一つなんですけど……」
渋谷、原宿、少し足を延ばして人気のテーマパークへも行ってみたい。でも、美鶴が東京で一番にしたいことは母親の墓参りだった。事故で亡くなった後、母親の遺骨は実家である東京の両親――美鶴の祖父母に引き取られた。まだ子供だった美鶴はすべてを聞かされた訳ではなかったが、父と母の結婚は祝福されたものではなかったらしい。母の話になると養父母の口は重く、東京という言葉すら口にできないようなそんな雰囲気がずっと家の中にあるような気がしていた。
「そうか。母親の墓参り……場所も分からないんだろう?」
「はい」
「お母さんの旧姓は?」
「たしか、トキトウだったと思います」
葬式の時に父方の親類たちが話しているのを聞いた。『トキトウの家は誰も葬式に来ないのか』と。
「それだけじゃ、探せるかどうか分からないな」
「そうですよね。聞いてくれてありがとうございます……そうだ私、仕事に戻らなきゃ」
自らに言い聞かせるように呟いて、「また来ます」と病室を出た。透ともっとずっと話をしていたかった。けれど美鶴は仕事中で、彼は入院中の患者だ。美鶴は浮き立つ気持ちに自ら釘を刺した。