魔王の妻
タイトル未編集
「愛する妹よ、お前にこれをくれてやろう」
<今より少しむかし、キッツランドという王国に、大層仲のよい二人の姉妹がおりました。姉妹のうち姉は果敢にしてたくましく美しく、清冽な生き方はまるで白百合の如く。妹は物腰やわらかで優し気で清楚な美しさを称え、そのあでやかさは牡丹のようと誉めそやされました。二人はその瞳より、キッツランドの青い秘宝と呼ばれ、その気高さからみなみなに崇拝されました。町のあるものは王族にも嫁げようと言い、また彼女らを憎んだ老いた魔女は、いや、けがれた王に魅入られようと言いました。
それから幾年が経ち、姉の方は女騎士として、他国との戦争に参じて名をあげ、女だてらに勇者となることになりました。任を背負ったその旅立ちの際、姉は大切な妹に、金のピストルを送りました。これは護身用だよ、弾は二発しか入っていないよと、強い調子で言い置いて>

◆◆
「いったあ、いったあ」  
 ――それからさらに幾年が経ったある夜。あの美しかった姉妹は一人きりになっていた。妹はあわれ、この国にひそかにはこびる魔王に殺されてしまった。もうかの愛らしく、従順な妹はどこにもいない。その悲しみを、果てのない憎しみを、怒りの剣にかえて、勇者アナスタシアは魔王ルシフェールに剣を振りかざす。
「魔王ルシフェール! わが妹の美しき生涯を奪った罪科を、今、払ってもらおうか!」
「ひいい、やめて、ああっ。やめてくれよお」
 しかし、肝心の魔王がこんな調子なので、勇者アナスタシアはこの男に妹の一生を奪われた怒りなど忘れて、唖然としていた。確かに、この男は自分に深手をおわせ、さらには自分の大切な妹を奪った男である。数千ともいわれる、あらゆる人種、老若男女へ暴行を繰り返し、言うも言われぬむごい方法で殺してきた男である。それなのに今魔王は、アナスタシアから逃げまどってはまろんで、クローゼットの箪笥に小指をぶつけて息も絶えんほどに痛がって泣いている。
(これが、あの魔王、か?)
 そのとき、魔王の城に唯一いるであろう侍女が走りこんできて、アナスタシアは言葉を失った。侍女のマリエは世にも優しい笑顔をたたえ、魔王の小指をふうふうと息をふきかけ治癒せんとしている。ふうふうしたくらいでは治らんと思うのだが、魔王は次第に泣き叫ぶのをやめ、涙と鼻水をマリエの助けでぬぐった。
そしてマリエを抱きとめて不安げにこちらを見つめるので、アナスタシアはまるで自分が悪人かと思われるようなふるまいにうんざりした。ようやっと人間界の王から魔王征伐の許可を得、この地を踏みこの黒き城へたどり着いたというのに。あのときの残虐な魔王のままであったなら、即座にその首刎ね落としてそれを聴衆の見世物にしてやったのに。なのに、なぜ。
「うわああああ、あの女勇者怖いよマリエー!何が怖いって顔が怖い」
「……」
「大丈夫ですわ、魔王閣下。何があってもわたくしが守ってさしあげますわ! さあ、女勇者さん、この城には焼きたてのクッキーやケーキやお花しかございませんわ! それをさしあげるからどうか出ていって!!」
「……」
 女勇者アナスタシアは、しばし呆然とした後、
「とりあえずお前ら……」
ふうと息をついて。
「そのさっきから生まれたての小鹿みたいに震えて身を寄せ合うのやめろ!! こちらが悪者みたいになるではないか!!」
と盛大に怒鳴った。


 そんなこんなで、アナスタシアは明けた碧空のもとテラスに通された。あたりは薔薇が咲き初めて、えもいわれぬ芳香を漂わせている。白いテーブルには先ほどからマリエがハーブティーやチョコのかかった焼きたてクッキー、ふわりとした焼きたてシフォンを並べている。
(はあ、これでは王になんと報告したらよいのだ……)
 悩み苦しむアナスタシアへ、隣に座した涙も乾ききった魔王がにっこりと笑む。
「いやー先ほどは悪かったね。せっかく来てくれたのに」
「せっかく来てくれたって、殺しに来てくれただけだけどな」
ええ! 魔王はまたびくりと身を震わせ、それからこわばった笑みをなんとか浮かべて告げる。
「そ、それは……もうちょっと待ってほしいんだよ。あと八か月くらい」
「そんなに待ってられるか!!」
「いや、でも……あ、ほらマリエがシルバーをもってきたから!! 一緒に食べよう」
 そうして怖がりながらも、にっこりとする魔王。これにはアナスタシアも、毒気を抜かれ、おとなしくシルバーを手に取った。おや、――ナイフがある。
(どうしてくれようか)
 シフォンをほうばり、ん? という顔でこちらを見やる黒髪金目の美しき魔王へ、アナスタシアが涼しくとがった流し目を送る。
(どうしてくれよう。どうして)
「どうか、なさいましたの」
明るいマリエのこの一言で、アナスタシアは、クッキーやケーキを血で洗うのはよそうと思った。磨きこまれたナイフをひこうとする。しかしその手も止まった。マリエが非常に真剣にこちらを見ている。先ほどの目論見がばれたか? それとも。
(まさか毒でも入れて、その様子や反応を見ようというのか。面白い)
 勝気なアナスタシアは、シフォンを切り裂いてすべて食べつくした。むむ。
(ど、毒は入っていないようだ。いや、というかこれ)
「すごく、うまい」
「本当ですの!?」
 これを聞いたマリエはまるで天使のように愛らしく清らかに破顔した。
「喜んでもらえてよかったわ! ほんとはわたくし、こんなまずいもの食えるかーって放り投げられるのではないかと、心配だったの。魔王閣下はいつも何を作ってさしあげても美味しいしか言わないんですもの」
「だってマリエの作るものは何でも美味しいからさー」
「まあ、閣下ったら! お上手に言っても何も出ません。キッスしかしてさしあげられませんわよ」
「おのろけはそこまでにしろ」
 強い声音で二人を縮こまらせたアナスタシアは、それから言葉を継いでこう問うた。
「二人は夫婦なのか?」
 この問いかけに、二人はえっと瞬く間に赤面し、激しく手を振った。
「え、いやそんなまさか」
「いやいや、ご主人様と侍女の禁断の関係だなんて、そんなことありませんわほほほ」
  そうして二人が照れて、世にも優しいまなざしで互いを見やるので、いくら否定すれどアナスタシアは全てを悟ってしまった。
「そうか。二人は、愛し合っているのだな。それはそれは」
微笑ましくも妬ましい――。そのように聞こえたのは、風にかき消されたか、アナスタシアは何も言っていないかのように微笑した。
(私には、二度と得られぬ幸福だ)
 その悲壮な思いを、微笑にかえて。
「……私には、そんな相手がこの生涯でできようもないからな」
これに黒のお仕着せを纏ったマリエが激しく首をふる。
「何をおっしゃいます! アナスタシア様はブロンド碧眼のまばゆい美しいお方! この先いくらでも……!」
 ふっと、アナスタシアが笑った。それは幾分、嘲笑に近い笑みだった。
「ところで、マリエとやら」
「はい? 」
「私をどこかで見たことはないか?」
「え……」
 長い黒髪をゆらめかせ、マリエは少し考え込んだ後で、こう言った。
「ごめんなさい……私、きっとあなたとは初めてお会いしたかと思いますわ」
 アナスタシアも口角をあげて頷く。
「そうか……」
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