冷淡なる薔薇の王子と甘美な誘惑
*


「フィリーナ……」

 薔薇園を出て行く足音がなくなった頃。
 それまできつくフィリーナを抱きしめていた腕が緩められた。
 薔薇の香り満ちる胸では、少し速めの鼓動が溢れていて、涙を落ち着かせてくれた。
 まだ熱を持っている目で視線を上げると、漆黒の瞳がゆらりと煌きを込めてフィリーナを見下ろしていた。

「無事でよかった……」
「ディオン様……」

 大きな掌がまだ乾いていない頬を包んでくる。
 地面に座り込んだまま、ディオンはまたフィリーナをしっかりと抱き直した。

「いくら強い娘だとは言え、刃を自分に向けさせようなどと……、あんなことはもうしてくれるな」

 いつもの毅然とした雰囲気は薄れ、呟くような声は少し震えていた。

「だけど……ありがとう」

 頭に頬ずりするディオンに、胸の奥がたぎるような熱を持ち、誤魔化せない感情に、鼓動が速まった。

「こんな小さな手に、私は守られてばかりだ」

 ディオンの大きな手はフィリーナのそれを取り、温かな胸元で握り締めた。
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