冷淡なる薔薇の王子と甘美な誘惑
「ご機嫌よう、ディオン王子、グレイス王子」
「長旅ご苦労様でございました、国王」
「おかげんはいかがですか?」

 社交の挨拶を交わすヴィエンツェ国王。
 そばでは、空色の美しいドレスを細い指で摘み、王子二人を前にレティシア姫が粛々と頭を下げられた。
 あんなに綺麗なドレスも、上品な振る舞いも、自分とは無縁の世界。
 あまりの眩さに、痛くなるほど胸が苦しくて、フィリーナは目を逸らした。

 今夜、ディオンとレティシア姫の婚約が発表される。
 名目上、ヴィエンツェ国はバルト国の最上の同盟国になり、諸外国から一目置かれることになる。
 ディオンとレティシア姫の婚姻をもって、それは確固たるものになるのだ。

 それは最初からわかっていたこと。
 なのに、ちらちらと脳裏をよぎる、フィリーナに向けられた漆黒の瞳の優しい笑みが消えてくれない。
 自分を守ろうとしてくれた薔薇の香り纏う背中。
 子どものように口唇を尖らせてみせたディオンが、急に遠くに行ってしまったようで、心の中にむなしい風が吹く。
 胸がはち切れそうに膨らんだ昨日の出来事は、本当の事だったのかすらわからなくなるほど、おぼろげになってしまった。
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