冷淡なる薔薇の王子と甘美な誘惑
 不確かな記憶は振り払い、今は仕事に集中しなければ。
 高貴な方々を前に粗相をするわけにはいかない。
 やることはまだまだたくさんある。
 忙しなく動いていれば余計なことも考えずに済む、と、フィリーナは自分のいるべき裏手の世界に戻った。

 そんな裏手の使用人でも、嫌でも主催の挨拶には立ち会わなければならない。
 壁際に王宮の使用人はずらりと整列する。
 一番の奥の数段高くなった玉座に、ディオン王太子が立った。
 会場が静まり返ると、玉座の脇にいるグレイス王子が第一声をかけた。

「皆さま、本日は当国へお出でいただきありがとうございます。
 心行くまで晩餐をお楽しみください。
 それでは、バルト国第一王子ディオンより、挨拶を賜ります」

 まろやかな声が下がると、玉座のディオンは一歩前に出て大広間を見渡す。
 かすむほど遠い存在に目を細め、フィリーナの胸はまた締めつけられた。
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