能ある鷹は恋を知らない
「鮎沢さん、大丈夫ですか?」
「え?」

昼休憩中のスタッフルーム。
顔を上げると同僚の今井双葉ちゃんが心配そうな表情で私を見ていた。
彼女は半年前に開院したときから歯科衛生士としてここに勤務している。
彼女がここに採用された主な理由は「軽度な男性恐怖症」だというから院長の鬼畜っぷりが押して図れるというものだ。

「ありがとう、大丈夫。ちょっと考え事してただけ」

その理由は今日が金曜日であるということ。
ほんとに高島さんが来るのか、どこに付き合わされるのか知らず知らずの内につい考え込んでしまっていた。

そもそも彼は私の予定など何一つ確認することなく去って行ったし、真面目に付き合わなくてもいいかと思う一方どこか気にかかるのも事実だった。

「何かあったら言ってくださいね。私…鮎沢さんが来てくれてから男性の患者さんを受け持つことが前より減って、ほんとに感謝してるんです。だから、私にできることがあれば遠慮なく言ってください」
「双葉ちゃん…」

ほんとに良い子だ。この都会の砂漠にあって唯一のオアシスと言っていい。

「じゃあ今日は午後早く切り上げて三人で飲みいく?」

唐突にスマホから顔を上げたかと思うと受付兼診療助手の金塚舞子は名案を思い付いたとでも言いたげな顔で私たちに提案した。
双葉ちゃんと同じくオープンスタッフとして彼女が採用された理由は金塚銀行のお嬢様であり、尚且つ既婚者であるということだった。
ちなみに労働の必要のなさそうな彼女が働く理由は「時間が潰せるから」という常人には理解しがたいものだ。

「ごめん、今日は予定が…あるかも知れなくて」
「なにそれ。煮えきらないなぁ」

舞子は面白くなさそうに口を尖らせた。同い年ということもあり、サバサバした彼女とはすぐに意気投合した。
山田さんを含め、同僚に恵まれたことは心から嬉しかった。

「舞子さん帰らないと旦那さんが困るんじゃないですか?」
「なんで?」
「え、ご飯とか…」
「今日はシェフが来るはずだから大丈夫」

彼女は何でもないように「私料理できないからさーあはは」と笑って言う。
私と双葉ちゃんはまったく笑えず、理解が追い付かないで反応に困ったまま舞子を見つめていた。

「…ブルジョア過ぎてついていけない」
「舞子さん、ほんとにお嬢様なんですね…」

双葉ちゃんの呟きも分からないではない。確かに黙っていればその線の細い麗しい見た目は箱入りのお嬢様であるのに、中身がどうにもそれっぽくなくてついついそのバックボーンが頭から抜けてしまう。
しかし、やはり結婚前の生活水準を落とさず自炊の必要のない環境にいるあたり、彼女は紛れもなくセレブの国の住人なのだった。

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