竜の妃は、今宵も鬼の夢を見る
序章
 それは、夜毎、美しい旋律を奏でた虫たちさえ静まった、不気味な夜のことであった。

 長い階(きざはし)を上った先の、天回廊から仰ぐ夜空に月はなく、星の光だけが晩秋の夜気よりも冷たく輝いている。


 天竜殿と呼ばれる、この広大な城は、九楼(くろう)国をしろしめす竜帝(りゅうてい)の居城。

 その城の敷地を一望することのできるこの天回廊は、竜帝が群臣一同の拝賀を受ける場であり、その権威を示す象徴でもある。


 その歴代の竜帝だけが立つことを許されるこの場所で、いま、手に剣を携えた二人の男が睨み合っていた。

 男の一人は闇のように黒い衣に黒金の剣、もう一人の男は血に染まった緋の衣に二色の宝玉の埋め込まれた剣を低く構えている。


 二人の男のつま先が、互いににじり寄るように僅かに動く。

 呼吸をすることさえもはばかられるような間合い。その刹那、黒衣の男が鋭く踏み込み、その切っ先にたたらを踏んだ男の剣を見事にはじき飛ばす。主を失い、くるくると回廊を滑った宝玉剣は、男たちの手の届かぬ場所で動きを止めた。


「ここまでだ」


 鈍い光を相手の喉元に突きつけ、黒衣の男が口を開いた。

 その衣と同様、闇を映したような両眼は、剣に手を伸ばした相手の男を見下すように光っている。


「……おのれ、犀狼(さいろう)」


 剣を失った男が、うめくような声を上げた。


「お前のような者に、竜帝の座を渡してなるものか」

「それはこちらの台詞だ――瞳邪鬼(どうじゃき)」

「瞳邪鬼だと?」


 その呼び名に、男は犀狼を睨みつけるように顔を上げた。

 瞳邪鬼と呼ばれた男の双眸は、剣に嵌め込まれた二つの宝玉と同じ、それぞれ違う色をしていた。彼はその双眸で犀狼を睨み、掠れた声を上げた。


「我が名は朱藍(しゅらん)。この九楼国の竜帝であるぞ」

「……痴れ言を」


 しかし、犀狼はつぶやくように言うと、血に濡れた剣を構え直した。


「その瞳、一眼に暁、一眼に宵を映す、か。人心を惑わす、邪な双眸を持つ者め。ここに、この犀狼が成敗してくれよう」

「おのれ犀狼……」


 暁と宵を宿した二色の双眸と、黒真珠のような漆黒の瞳がぶつかり合う。天に振り上げられた黒金の剣が、空を割いて振り下ろされる。


 ――そして一瞬のち、血飛沫が天回廊を染めた。
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