スプーン♪
「ほんっと、今口は人気者だ」
「は?」
唐突過ぎる。何で、阿東?健太郎じゃなくて?というより、今ここでふさわしい話題なのかとキレたくなった。
「何で阿東ですか」
「違うの?」
「阿東なんて、別になんとも思ってませんけど」
てゆうか、嫌いに限りなく近い。
「向こうは、そうでもないみたいだよな」
岩崎先生がニヤリと笑った。イジってやるぅーの目だった。負けじと、睨み返す。阿東と共にイジられる覚えはない。いつだか貰ったチョコレートが浮かんだ。阿東について浮かぶのはそれぐらいだ。阿東は、私が答えられなかった問題を、指されもしないのにやる気満々で立ち向かう。それは出来なかった私と比べられて、自分が優位に立てるからだ。
岩崎先生にそれを言えば、
「わかってねーな。あれは今口の敵討ちだろ」
え……。
「僕をやっつけて、今口に喜んで欲しかったんだよ」
絶句した。
「3人で復習をやろうって言った時、阿東くんを見てピンと来なかった?」
「阿東なんか、見てませんから」
阿東と言えば。
教えてやろうか?と上から目線で言ったり、偶然にチョコが出てきたり、強引に隣の席に来たり、急にメガネを掛けてきて、補習の最中にいつまでもいつまでも居座るし……ウソ。まじ?
そこまで思い浮かぶと、身に覚えが有りすぎて、急に恥ずかしくなってきた。岩崎先生は、ん?と素通りできない何かを感じた様子で、パソコンのパチパチをスッと止める。今までとは何かが違うと、窺うように疑うように、こっちをジッと見ているのだ。
マズい。
慌てた。
シャーペンを意味も無く取り替えて、すっかり忘れていた補習のプリント、教科書、そこら中をガサガサやった。それが余計に悲惨な結果を生む。
「あ!」と叫ぶと同時に、教科書もシャーペンも机から転げ落ちて、大きな音をたてた。……ヤッてしまった。
「ほんっと、今口は人気者だ」
顔が、かあっと熱くなった。岩崎先生はクスクスと笑う。その表情は、イジってやるぅ~のサトちゃんとダブって見える。このままだと、先生の中で、マジで阿東に気があるって事にされてしまうから!
「ち、違いますから。本当に!それはもう普通にクラスの、どうでもいい男子っていうか」
私は必死で抵抗した。顔が熱い。心臓がパンクする。脳ミソが沸騰しそう。
「阿東くんには何か作ってあげないの?」
「作りませんっ」
「今度の期末は、阿東くんにも面倒見てもらおうか」
「そ、それは先生の職場放棄でしょうっ」
「心配すんなって。今口の真心、阿東くんにチクろうなんて思ってないから」
ガハハハハ!
静謐な化学室に、邪悪な高笑いがこだまする。倉田先生との一件を今でもまだ根に持っているんだ。
頭を抱える私を尻目に、岩崎先生は愉快そうに笑い続けた。ほんっと大人気ない。実際、何処から見ても岩崎先生はチクりそうに見える。思わせぶりな一言をチクリチクリとやりそうだから……疑われたまま終わってはいけない。
「違います。本当に違いますからね」
「必死だな自分。それぐらい必死で勉強しようゼ」
「します。勉強。マジで本当に違いますからね!」
「それはもう、わかったわかった。ハイハイ」
何を言っても聞き流された。先生は、半分真っ白のプリントに、いつかのように公式を書いた。真っ赤な異国の呪文だ。だがそれに従って1つ1つ数字を乗せると、それはまるで魔法のように、難しい数式が美しい流れに乗って形を変えていく。グラフは何度も書かされたので、要領を得ていた。数字を代入して座標を繋げていけばいい。先生から出された公式を使って、先生の言う通り、言われるがまま空欄を埋めていった。それだけ。
「やっと卒業だな」

最後の問題に赤マルを入れて、岩崎先生が呟いた。何だか途中で放り出されたように感じて、心持ち、私は椅子を近付けてみたり。
「帰るか」
はい。
そして帰り道、今日も途中まで一緒に歩いた。先生とこうやって帰るのも、これが最後かもしれない。
……寂しいな、きゅん。それぐらいは思ってあげないと先生に悪い気もする。寂しいのは、秋のせいかも。この薄暗い夕闇が自動的にそうさせるのかも。
「今口とこうやって帰るのも、今日で最後だな」
先生も同じことを口にした。心を読んだ訳ではないと思うけど。
「だと、いいですね」
「不吉な事言うなって。期末は頑張ろうな」
期末。
①及第点を取り、先生から、よく頑張ったと褒められる……今口メグミ。
②追試になって、先生に怒られながら、補習している……今口メグミ。
頭の中で、2人を天秤に掛けた。まるで〝どっちかをどうぞ〟。
甘くて美味しい。あるいは、苦くてクセになる。どっちも悪くないと感じた。味わいは、どちらも〝感動〟なんだから。そんな風に思う自分が不思議だった。追試なんて、居残りなんて、嫌な筈なのに。
「今日はお菓子とか無いの?」
「あ、ありますよ」
カバンの中からビスケットを出した。言われなくても、先生にあげようと思っていて。
「今口も食え。やる」と、1つ恵んでもらった。
「メイド・イン・私ですけど」
先生は、「全部もらっていい?」と訊いて、こちらの返事は待たず、当たり前のように袋ごとカバンに収めた。そこで先生から、いつかの神戸牛のお弁当箱を返される。〝ありがとう〟も〝ごちそうさま〟も言われない。何処を探しても、そんなメモすら見当たらなかった。
「マユと、ずいぶん扱いが違うぢゃないですか」
「腹減ったな」
……聞いてない。岩崎先生の目がいつにも増して空ろだった。お腹が空きすぎて、お礼どころじゃないらしい。
そこで、この辺りで評判の鍋焼きうどんの話題になり、「それ、さいとう屋ですよ!超美味いです。お醤油ベースのスープは真っ黒ですけど、お野菜がたっぷり。うどんは替え玉ができるんです。男子は必食」と力説したら、なんと!
先生はお弁当のお礼に奢ってくれるとか言う。
これって、マユどころじゃない、破格の扱いぢゃないですか!
店を案内して教えた所、あいにく今日は定休日で……せっかく、鍋焼きうどんで盛り上がった所に、肩透かしを喰らってしまう。
「食べれないのかぁ」と、こっちも残念な気持ちになった。
「私、もう頭がうどんで一杯ですよ」
脳ミソは、とぐろを巻いた、うどん状態。他のメニューが入り込む隙は無い。
「今夜、ウチは鍋焼きうどんに決定です。もー絶対っ」
岩崎先生はチッと舌打ちして、「休むなよっ!」と看板に向かって乱暴に吐き捨てた。ヤンキー語録に免疫はあってもドン引きだ。
この時、はっきりと分かった。
先生がイライラするのは、出来の悪い生徒が原因でもなければ、彼女とのケンカでもない。ズバリ岩崎先生は、お腹が空くと機嫌が悪くなるタイプだ!

「これから、まだ雑用があるから」という先生とは駅前で別れた。
こっちも、来週に迫った文化祭に頭を切り替える。
味も見た目も、みんなを驚かしてやるんだから。
途中、私は閉店間際の文房具屋に立ち寄って、可愛いリボンやカードを何種類か買い込んだ。これで、簡単なレシピのチラシも作ったらどうかな?
せっかくだから可愛く作りたい。鍋焼きうどんの夕飯後は、部屋に籠って、さっそくカード作りに取り掛かる。
懐かしいレシピが後から後から出てきて、あれもこれもと、楽しい思い出が蘇って来るから、つい作業を放ったらかしで眺めてしまう。
あの夏。足りなかったカレーライス。先生には〝ごめんなさい〟と謝ったけれど、今となっては笑いが込み上げてくる。先生は、お客として、悪くない。
隣の部屋で、兄貴が寝返りを打つ気配がした。
そんな、真夜中の午前2時。
レシピ・カードが出来上がり。
どんなに、のた打ち回っても、苦じゃなかった。
< 26 / 28 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop