不埒なドクターの誘惑カルテ
 前回の職場巡回のときに、私がミーティングスペースで呟いた言葉が、まさか先生に聞こえていたなんて。

「そんなに謝らなくていいって。でも、ありがとうな。ちゃんと自分の気持ち、俺に教えてくれて。っと、いつまでもここで話してる場合じゃなかった」

 工場の入口にある大きな時計を見ると間もなく十五時になりそうだ。

「え、もうこんな時間……」

「あぁ、茉優も俺と工場の巡回をするために来たんだろ? ここの工場長はちょっと面倒だから、心してかかれよ」

「はいっ!」

 先生の言葉に、私は頭を仕事モードに切り替えた。

 事務室を訪れると、私と同じくらいの年の女性事務員が笑顔で出迎えてくれる。まぁ、その笑顔は私に向けられたものではないけれど。

「束崎先生、お待ちしていました」

 その女性は先生に挨拶をすると、こちらをチラッとみた。私は慌てて名前を名乗る。

「本社総務課の、坂下です。今回は先生と一緒に工場の点検に参りました」

 周りにいた職員も、チラッとこちらを見た。しかし、みなすぐに仕事に戻ってしまう。

 なんだか、あまり雰囲気がよくないなぁ。

 そう感じた理由はすぐに分かった。

「何度来てもらっても、お前さん方にさく時間なんて、こっちは微塵もないんだよっ」

 作業服を来たひとりの年配の男性が、大きな声をあげて部屋を出て行った。

「梶尾(かじお)工場長、今日も機嫌悪いなぁ」
 
 となりの先生が、頭を掻きながら困った顔をしている。〝今日も〟ということは、いつもこんな感じなのだろうか。

「今日はまだ、マシだと思うけど。いつもならもっと怒鳴り散らしているだろうから」

 女子社員の言葉を聞いて、この事務所内の雰囲気の悪さも頷けた。

「まぁ、工場長がいなくても職場巡回はできるから。始めようか?」

「はい」

 これまでの私とは違い、元気に返事をすると先生のサポートをするように私は先生について行った。

 まずは事務所内の巡回から始める。

「ん〜ココは前回もお願いしたんだけどなぁ」

 ロッカーの上に摘まれている段ボール箱、落下の危険性があるのは私が見てもわかる。それにこの事務所……いたるところに電気のコードが張り巡らされている。これでよく今まで誰も怪我をしなかったものだ。

「そもそも先月、先生が報告書にあげている箇所がひとつも改善されていないじゃないですか」

 隣にいる先生にだけ聞こえるようにして言う。
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