不埒なドクターの誘惑カルテ
 束崎クリニックの専門は心療内科ということだ。紹介でやってくる患者さんがほとんどだが、受診したい患者さんは後を絶たないと噂を聞いた。

 四階に到着し、廊下を早足で歩く。角を曲がり束崎クリニックの目と鼻の先のところで私は足を止めた。なぜなら束崎先生が女性と一緒にクリニックの中から出てきたからだ。

 私にはまったく気がついていないようで、楽しそうにふたりは話をしていた。

「先生、また遊びに来てもいいですか?」

「もちろん、美人の訪問はいつでも大歓迎」

 はしゃぐ女性と、ヘラヘラと笑う先生の姿に、私の体の奥から怒りが湧きおこる。

 仕事すっぽかして、女の子と会っていたわけっ!?

 そのせいで私はずっと待ちぼうけをくらい、電話も無視されたということだろうか。

 怒りに震えている私の横を、さっきまで先生と話をしていた女性が通りすぎた。そのときになってやっと、先生は私の存在に気がついた。

 私の顔を見て瞬時に「あっ」という表情をみせ、バツが悪そうに頭を掻いた。やっと今日の打ち合わせの予定を思い出したみたいだ。

 慌てた様子でこちらに駆け寄ってきた。そしえ私の前まで来ると両手を合わせて謝罪する。

「ごめん、ごめん。うっかり話し込んじゃって」

「それで、すっかり打ち合せを忘れていたんですね?」

 努めて冷静に、言葉をかけたが怒りが隠しきれない。

「あはは……怒ってる?」

「いえ……」

 たとえ怒っていたとしても、「はい」などと言えるはずもない。私はなんとか笑顔を浮かべたつもりだったが、顔がひきつっているのが自分でもわかった。

「ほらほら、そんな怖い顔をしないで」

 原因を作った張本人に言われても笑えるはずがない。しかしそんな私を着にとめることもなく、「鍵閉めてくるから待ってて」と言い残してクリニックに戻った。

 先に行って待っていようと、踵を返しかけたが思いとどまった。ここで先生を放置すれば、また誰かに掴まって会議室まで来るのに時間がかかるかもしれない。

ここはひとつ大人の対応をしなくては……。

 私は深呼吸をして、束崎先生が来るのを待った。

 すると鍵を閉めた先生が、小走りでこちらに向かってきた。

「ごめん、待たせて。行こうか、茉優」

『茉優』と名前を呼び捨てにされて、またもや顔がひきつりそうになったけれど、私はぐっと我慢した。
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