闇に紛れてキスをしよう
◆prologue◆





ふぅ…と吐いた白煙が、ゆらりゆらりと夜の闇に溶けていく。


一部を除いて全面的に禁煙になってしまったこのビルの、秘密の場所で煙草を燻らせながらボーっと夜空を見上げるのも、最早週末の恒例行事と化している。







私は、三上伊織。


大学を卒業してすんなり決まった就職先は、当時の上層部の不祥事によりあっけなく倒産。
そのお陰で無職になった私は、憧れていたオフィスワークを諦めきれず、叩いた門戸は登録制の派遣会社。


契約社員として登録していた会社から派遣されたのは、仲間内でも話題に上がって憧れの的となっていた「B.C. square TOKYO」にオフィスを構える法律事務所だった。


事務業務を処理する部署が人手不足に陥ったらしく、ウチの会社に依頼が舞い込んだのが1年前。


一般事務や営業事務を得意とするウチの会社の中でも、この依頼を誰にするのか揉めたらしいけど、「派遣先と揉めない」事でも社内で有名になっていた私に白羽の矢が立った…という訳で。


目立たず騒がず生きてきた私にとって、迷惑極まりないご指名だったのに、案の定…玉の輿狙いの女性達からは睨まれ、派遣先に行ったら行ったで、イイ男がいるなんて夢のまた夢…連日激務の「恋愛なんてする暇ナシ」な事務所だった。


まぁ…個人的には。


ちょっと前に恋愛でかなりの痛手を負っていたのもあって、派遣先の人と恋愛なんてする気も無かったから有難かったし。


アラサーになって数年、結婚への焦りも早い段階で消え始めていたからか、割とおじさんが多かったからか、そういう対象に見る事も見られる事も無かったのは助かった。


だから。


私の能力と勤務態度が認められて、派遣から半年後に「契約社員ではなく正規雇用として」と事務所側からお話を頂きいたのは、純粋に嬉しかったし、なんならちょっと涙ぐんでしまった位で。


若干…これからの人生を1人で生きていく覚悟をしていた私にとって、賞与も出る契約に変更して貰えるのは本当に有難いお話で。


契約変更してから最初の3ヵ月は研修期間としてパート扱いだったけれど、その後に正社員として働く事が出来るようになったのは本当に嬉しかった。




そうして、契約社員で半年、パートで3ヵ月、正社員として3ヵ月を勤務した私は、すっかり事務所内でも「干物キャラ」が定着してしまっていて。


なんなら事務所のボスやおじさま方、果ては年下の先輩社員からも「男性を紹介しようか」と世話を焼かれるポジションに収まっていた。




「……だから、干上がってないっつうの」




そんな事を呟いてみたところで、こんな場所で私のひとり言に耳を傾ける人なんて居るワケも無く。


ふぅ…と吐き出した白い煙も、私の残念な呟きも、うっすら星の輝く夜空にすっと吸い込まれていくだけ。




……な、ハズだった。






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