偽りの先生、幾千の涙


「そんな小さな時にお母様を亡くされたなんて…お辛かったでしょうに。」


少しだけ話すと、皆川さんは慰めるようにそう言った。


「確かに辛かったですけど、それは皆さん同じです。
私だけじゃありません。」


顔を見ていたら伝わってきた。


皆川さんは奥さんを愛していたし、今だって苦しんでいる。


「そうだね。
私も含めて、皆この世の地獄を見たよ。
…お嬢さん、お名前を聞いてもいいかな?」


「失礼しました。
私、榎本果穂と申します。」


「榎本さんだね。
私は皆川といいます。
…榎本さん、弟さんがお生まれになりそうな時だったと言っていたね。
私の妻も息子が生まれようとしている時に病院にいたんだよ。
私は抜けられない会議があって、病院に着いていってあげる事は出来なかったんだ。
でも会議が終わり、急いで車で向かったよ。
ちょうど病院が見えてきた時に爆発事故が起こったんだ。
…大きな音や地響きと共に、病院から火の手が上がり…何が起こったのか分からなかったよ。」


皆川さんが苦しげに歪む。


皆川さんはその光景を永遠に忘れる事は出来ないのだろう。


現場にいなかった私には分からない苦悩まで背負っている。


「榎本さんのお母様も出産直前だったなら、妻の近くにいたかもしれないね。」


「そうですね。
隣の部屋にいたかもしれません。」


そう思うと不思議だ。


たまたま話しかけてきた皆川さんとお話して、故人を偲んでいる。


「ああ。
もしあんな事故がなければ、病室や廊下で会っていたかもしれないね。
…もっと幸せな気持ちで。」


皆川さんの目に涙が溜まり、溢れんばかりの気持ちを表している。



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