青野君の犬になりたい
店を出ると、ぼんやりと光っていた月の姿はすっかり消えて暗い空が広がっているだけだった。
駅につくほんの手前で青野君が「なな――」と私を呼びかけたけど、そこでスマホの着信音が響いた。
「ちょっとごめん」と言って、青野君はジャケットのポケットから取り出したスマホに耳を当てる。
会話はすぐに終わり、青野君はもう一度「ごめん」と言った。
「で、なに?」
「今の電話?」
「違う。電話の前に何か私に言い掛けたでしょ」
「ああ、何でもないよ」
「なな――」で途切れてしまったので「七海さん」だったのか「ナナ」と呼ぼうとしたのかわからなかったけど、私はそのあと「うちにおいで」という誘いを期待していた。
まるで犬のように。
でも「ちょっと用事ができたから」と、青野君は改札で慌ただしく私を見送る。
私の期待は今の電話によってさらわれたのだ。
これから誰のところに行くの?という言葉を飲み込んで、「今日は有り難う」と手を振り、ホームの階段を駆け上った。
首もとでネックレスが跳ねる。
かすかな重みはさっきまで幸せの証のようだったのに、今はその重みが胸の内に沈んでいくようだった。
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