貴方が手をつないでくれるなら

この間、謝罪の為に僅かな時間を喫茶店で過ごしたのとは違った。
普通にしていても料理が出尽くすまでの時間は当然ある。
定番のデザート…。ティラミスとエスプレッソが並べられた。これで終わりだ

…顔が見たいと思った。会いたいと思ったのは俺の素直な気持ちからだ。
眞壁さんは、この前の映画の時とは感じが違った。今夜も変わらず綺麗だと思った。それは変わらない。
違ったのは顔を見た時。高揚していると思った。間違いでは無いだろう。町田が何か言ったか…したか。眞壁さんは少しボーッとしていた。暫く上の空だった。
歩いている時も、店での話も、町田の話題になる事が多かった。時々、町田さんの話ばかりになりますね、なんて悪びれる事もなく言われてしまうと、一緒に笑うしかなかった。
俺は、何から何まで今夜は駄目だったんだ。町田の株を上げただけだったな…。

「よく、お兄さんが許してくれたというか、迎えに来るって言いませんでしたね。俺は印象が良くないでしょうし、多分、嫌われています。ちらっと会った時、いい顔はされませんでしたから」

気がついたら、何だか言っても仕方ないような事を当たるように口走っていた。言われた方が困るだろ。…こんな夜だから言ってしまったんだ。折角会ったのに、眞壁さんをつまらなくさせた。
そう思って後悔した時には、眞壁さんの顔を曇らせてしまっていた。眞壁さんは悪く無いのに。今夜の彼女は、さっきまでとても饒舌で楽しそうだったのに。

「…私にも解りません。全てが、兄の言動は、心配し過ぎる思いから来ている事なんです。…私達の両親は亡くなっていて、もう居ません。毎日、普通に居られる事、家族が仲良しで…幸せだなって思ったら、幸せは無くなってしまうんでしょうか…。
こっちに越して来て、暮らしにも慣れて落ち着いたし…。結婚記念日にって…、私達も勧めて…、二人で温泉に行った帰りでした。帰ってるからねって、サービスエリアから連絡をくれたのに、高速で多重事故に巻き込まれました。兄と二人になりました。…突然です。それからは、兄が一人で、凄く責任というモノを背負ってしまったのだと思います。私にこれ以上…、何かあってはいけないと。
柏木さん……私は…昔…」

「すみません。何だか、俺が拗ねたような…子供みたいな事を呟いたから。辛い話はそこまでで、…すみませんでした。話したい話では無かったと思うのに。食事も終わりました…帰りましょうか、家まで送ります」

店を出ようと会計をしようとしたら、済んでいますと言われた。町田…帰りに寄ったんだな。俺自身…柏木という空っぽの箱で、町田の代わりをしてるんじゃないかと思った。

仕事で上手く行かない事は何度だってある。その度に落ち込みもする。それとは違った。
なんて表現したらいいのか言葉が浮かばない。浮かばないんじゃない。解っているから考える事が煩わしいんだ。口に出したくもない。
…敗北、完敗…完敗かな。

歩いて帰りましょうか、本当はそう言って、映画の帰り、少しでも長く居られたらいいと思っていた。今夜は柄にもなくラブストーリーを観るつもりだった。…何が上映されているのか、少し調べていた。その後、静かな流れでだ。何も言わず自然に手を繋げたらと。


店を出て、眞壁さんに何も確認せず、通りに出てタクシーを停めた。
ドアが開いた。腕を伸ばし運転手にこれでと言い、金を渡した。足りないはずは無いと思う。

「眞壁さん、乗ってください。気をつけて帰ってください。おやすみなさい」

「え、あ、柏木さん…あの…」

開けられていたドアから眞壁さんを乗せ、一方的にそう告げ、運転手にお願いしますと伝えた。
まるでビジネスライク…。ドアが閉まり、タクシーは当たり前のように走り出した。中で眞壁さんが振り向いているのが解かった。暫く見送った。
決して元々いい奴って訳じゃないけど、今夜の俺は最低中の最低だった。
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