意地悪な彼の溺愛パラドックス

「あとは最終チェックのみなので、帰ってオッケーです! お疲れ様でした」
予定通り二十四時を回ったところで、レイアウト変更は無事に終了した。
スタッフに解散の号令をかけ、田辺さんと私は最終チェックに入る。
遼くんも手伝うと言ってくれたので、三人で手分けして行うことになった。
「電源入れますねー!」
通電とエラーを確認するために電源を入れると、静まり返っていた真夜中のショッピングセンターで、軽快なサウンドが鳴り響く。
店内から一歩外に出れば非常灯のみの真っ暗なフロアの一角で、色とりどりの光をピカピカと放つ奇妙なレインボーキャッスルは幻想的。
振り分けた場所の機械を一台ずつ回り終えた頃には、ほとんどのスタッフが帰宅していた。
それにも関わらず、大和くんはひとり清々しい笑顔でお気に入りのゲーム機をなでている。
「ゲーセンに住めたら幸せだよなぁ。遊びてぇ」
「大和くーん。深夜料金いただきます」
「かよつんケチ。夜はゲームに集中できるんだよ」
「早く帰らなくていいの?」
里央さんが待っているのではないかと心配になるが、一向に帰る気配はない。
すると背後から彼の厳しい一太刀が振った。
「だからカード取り上げられるんだっつの」
遼くんはそう言いながら「異常なし」と私にバインダーを差し出す。
私は回収してペコリと頭を下げた。
「俺はふたりのために犠牲になったんだぞ」
プクプクと頬を膨らませる大和くんから聞くに、なんでも私に余計なチョッカイを出した罰で、牛丼デートの後からカードは取り上げ中なのだとか。
それに加えて夜のシフトがいいと言ったのも、仕事ではなく実はゲームに集中できるからで、完全に里央さんを怒らせてしまったそう。
「もう遼の交渉術しかないからさ。よろしく頼むッス」
大和くんの要望に静かにうなずいた彼は、グッと親指を立てた。
交渉ってこのことだったのかとアホらしくなりつつも、大和くんが大志を抱くためには重要なことなのだろう。
クスクスと笑いながら、私は田辺さんが終わるまでにやり残していたことを片付けてしまおうと、柏木マネージャーに後を頼んだ。
汗をにじませながら、子供向けの大型遊具があるスペースの壁面を、ネットやクッション性の柱づたいに、ロッククライミングする。
「バカヨ、危ないぞ。なにしてるんだよ」
「ボールが挟まっていて……」
このスペースの天井ではよくあることで、元気のよいお子様が微妙な隙間にジャストミートしたボールを、こうして取りによじ登る必要があるのだ。
度々起こることなので、もう慣れたもの。
高所恐怖症のスタッフには頼めないが、わりと身軽なスタッフは脚立などを使わなくとも、ひょいひょいとこなしている。
「かよつんナイスアングル」
「大和、交渉は取り止める」
「えぇっ!? 俺の夢と希望がっ!」
インナーパンツつきのスカートなので別に気にしないのだけれど。
私は笑いをこらえながらボールをつかみ取り、達成感に包まれた店内を見渡した。
雲の上のレインボーキャッスルを、さらに上から眺めるといくらか壮大。
たしかに、ここは大人も子供も等身大で夢中になれる、そんな世界だ。
「私、この世界が大好きです」
下で微笑むふたりに笑みを返し、両手を広げた大和くんにボールを落とす。
キャッチした大和くんが片付けに行くのを見届けて、私も降りようと手をかけた。
しかし汗ばんだ手のひらがツルリとすべり、支柱をつかみはぐった私はバランスを崩してフワリと宙を舞う。
「ヤバッ……!」
状況は理解していても、思考と行動がうまく繋がらない。
ドクンドクンと鼓動を数えるうちに天井は遠くなり、光に照らされてなびく髪がキラキラと星屑を振り撒くように流れる。
私はどうすることもできず、ギュッと目をつぶり衝撃に構えた。
言いようのない鈍い音と鈍痛に痛手は覚悟したのだが、うっすらと目を開けながら認識するのは、硬いフロアタイルに打ちつけたはずの背中に感じる、やわらかなぬくもり。
「裏切らない子だね」
「……りょ、くん。ビックリしました」
「俺がな!」
目を開けた先にあったのは、息を切らす彼の顔。
私の落ちる先にすべり込んで、衝撃ごと抱きとめてくれていた。
「大丈夫か?」
「平気です。遼くんこそ……」
「内臓ねじれたかも」
そんな冗談に少し安心したものの、私がダイビング・セントーンしたに近く、彼こそ圧殺されてはいないか心配だ。
一刻も早く彼の上からどかなければと起き上がり、ふたりでその場に座り込んで深呼吸していると、突然腕を引かれ抱きしめられた。
その力が緩むことはなくギリギリとしめつけるから、重なりあった服の上からでも脈打つ振動が伝わる。
「本当にバカヨはバカだな」と小言をこぼす彼は、ものすごい動悸。
「かよ、本当に怪我してない?」
「はい。ありがとうございます」
「まったく。俺、死にそうだぞ」
肺の空気を全部吐き出すのではないかというくらい吐き出した彼は、私の肩にコテンと頭を預ける。
その胸の中で、私はいまだ治まらない大きな心音に、不謹慎ながら安心して愛しく思う。
このぬくもりと混ざり合えたら幸せだなんて慕い、そっと彼の服の裾を握りしめた。
< 56 / 68 >

この作品をシェア

pagetop