意地悪な彼の溺愛パラドックス
「かよつん、大丈夫!?」
「うん。遼くんが助けてくれたから」
間もなく大和くんが駆け寄ってきて、元気そうな私を見るなりホッと胸をなでおろす。
その後すぐに、田辺さんも慌てた様子でヒステリーを起こしてきた。
「何事ですか!? 馬場店長、トラブルを起こさないよう言ったばかりですよね!?」
「すみません。私の不注意です」
「それで済むと思っているのですか!? 馬場店長の資質問題は本部に報告して……」
「す、すみません」
さすがに怒られて当然だと反省。
ヒートアップする田辺さんは、抱き合う私たちを見ても目に入っていないくらい、いきり立っている。
クビにでもされてしまいそうな叱責に、首をすくめて平謝りする私の肩で、うつむいたままの彼がポツリと言った。
「田辺さん。念のため救急車を呼びましょうか?」
「はい?」
「深夜のショッピングセンターで、ゲームセンタースタッフが転落し負傷。担当のエリアマネージャーも居合わせていたとなれば、上司の資質問題ですね。田辺さんの責任も重いのでは?」
表情を見せない彼の低い声が、凄味を増してその場を緊迫させる。
大和くんが同調して、パンッと手のひらを打ち「そうだよ!」と叫んだ。
「真夜中に救急車とかマズイじゃん。遼もだけど、田辺マネージャーの始末書は確実? 降格に降給? こりゃ、本部から絞られますね!」
彼とは逆の熱心な口ぶりは、ゆすりかけて田辺さんの心理面を削ぐのだろう。
なにを想像したのか顔を青くして「とにかく気をつけてもらわないと困ります!」と、ゴホンゴホンと咳払いをしながら背を向けた。
「遼くん?」
いつまでも顔を上げない彼を不審に思いコソッと名前を呼ぶと、変わらない大きな鼓動と微かな震えが見える。
それはなにか怖がっているみたいで、気づけばもう抱きしめるというよりも、すがるような様子。
こんな彼はただ事ではないと、私の心臓も大きく脈を打つ。
「ふたりともどうしたの? いつまでくっついてん……」
「大和くん、遼くんがっ!」
近づいた大和くんも彼の異変に気づいたようで、少し屈んで小さな声でささやいた。
「かよつん、落ち着いてから帰りなね」
「う、ん……」
すべて知ったうえでの、彼が、ということに対するその意味合いが、私にはわからず虚しさを感じた。
「田辺マネージャー、馬場店長は腰が抜けたみたいです。俺と先に帰りましょう」
「いや、そうもいかない……」
「柏木マネージャーがいるし大丈夫ですよ。あとは任せて、行きましょう!」
焦れ込む田辺さんを促した大和くんが立ち去った後。
ほんのわずかな時間だったかもしれないし、それを上回る長い時間だったかもしれない。
私は問うまでを見計らって、なるべく大人しやかに話しかけた。
「遼くん、なにが怖いの?」
「……別に、なにも」
「なにかあるなら、私にも教えてほしいです」
「ないよ」
嘘つきな彼の両頬を私はそっと包む。
彼がしてくれるようにスッポリ覆うことはできないけれど、少しでも安心してくれればいいなと思った。
私の届かないところで抱えているなにかを、少しでいいから教えてほしい。
将来のことよりも先に、私は今、大切な彼を理解したい。
彼に一番、近い人でいたいのだ。
「好きだから、知りたいんです」
私の両手のひらの中で視線を逸らそうとする彼を、真っ直ぐに見つめて願う。
目もとを隠す彼の前髪を優しく払うと、一瞬なにかを言いかけ、躊躇した。
そうして再び口を開いた彼が告げたのは、拒絶。
「言えない」
「……遼くん」
「でも、かよが好きだ」
真摯なこの眼差しは、本心だと思う。
このときの彼は、本心を覆したいなにかをつかみたいのに、恐れているようにも見えた。
ただ私は、都合のいい私でいるのはつらくて不愉快をあらわにする。
「遼くんの大好きはちゃんと伝わるのに、なんだか切ないのはどうして?」
だからきっと彼を傷つけたし、彼も私を傷つけた。
「ごめん」
抱きしめたまま離してくれないその力は強くて、少し痛い。
うまくいかないな。
ただ好きなだけなのに、私たちはなぜ傷つけ合うのだろう。
こんな切ない思いをするために、恋をしたわけではないのに。
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