あたしとお義兄さん
41.



 鬼気迫る顔で微笑むという高等技術を駆使して、その場を異空間に変える義妹。

「……鈴子、静馬君が何したか知らんけど、もう許してやんなさいよ。あんたもここまで来て、そりゃ無いでしょうが…」

 呆れた様に娘に声を掛ける母親に、彼女が鋭い一瞥を寄越す。
「あたしは無理矢理引っ張って来られたのッ‼︎お母さんは黙ってて。…訳は言えないけど!とにかく言えないけど!」
 そう言うと、母親の持つ婚姻届と戸籍謄本を両手で摘み上げ、カウンターの柏木の前にぱん、と置いた。
「これ、お願いします。あ、ほらほら二人共、身分証明書。早く来て」
 今度は本当の微笑みで戸惑う二人を呼んで、提出物を確認し、後ろに下がった。
 同じく戸惑いながらも柏木も書類等を確認し、婚姻届受理証明書を発行する。

「おめでとう、これで本当に夫婦ね。お義父さん、お母さんを宜しくお願いします!」
 パチパチと拍手を送る彼女の心からの祝福を示し、義父に一礼した。
「─────ありがとう、鈴子ちゃん。力の及ぶ限り、お母さんは幸せにします」
 さすが親子、微妙に近い事を言いながら、強く頷く工藤秀幸(52)。
 そこだけは大団円で、幕引きだと言わんばかりに彼女が踵を返そうとした、その時。

 一目でお偉いさんだと分かる一団がその場に現れた。

「……区長……?」
 髭を生やしたおっさんは厳しい顔をして、唖然とする柏木の前に立った。
「…ちょっ、何よッ⁉︎あたしは帰るトコなんだからッ⁉︎」
 鈴子、と呼ばれた彼女が女性職員の集団に引き留められている。
『少々、お待ち下さいッ‼︎』『そうお時間は取らせませんからッ‼︎』とか、揉みくちゃにされていて。

「課長は居るかね?」
 その低い声に、奥からでっぷりとした体格の山内課長が汗を拭きながら、史上最速の身のこなしで区長の前に侍った。
「ごごご、御用の向きは、な、ななな、何でございましょう?」
 元々吃り癖はあったが、緊張の為に更に悶えて米つきバッタの様に頭を下げている。

 すると、区長は脇に退けてあった問題の婚姻届を指して、
「──────何とか、アレを受理出来んかね」
 と、宣った。
「ど、どういう……?」
「私の所に引きも切らずに偉いさんから電話が掛かって来るんだよ!それも、用件は皆、工藤静馬の婚姻届を受理してくれ、との一本槍だ。
 この際、詭弁でも何でも弄して、あの破れた紙を受け取りなさい」
 課長はちらり、と辺りを一瞥した。
 戸籍課全員の視線が一点に集中する。
 驚いて自分を指差す安岡さんに。
 空気を読んだ区長はすたすたと彼の傍に行くと、ポン!と肩を叩いた。
「今現在だけでも衆議院議員、参議院議員らの代議士だけでなく、銀行の頭取、経済界の大物と、あらゆる方面からプレッシャーが掛けられている。────頼んだよ、君」

 だらだらと安岡は汗を流したが、やがて意を決した様に彼女の前に立った。
 そこにある長椅子に並んで腰掛けて、軽く人払いをさせた。物陰で成り行きを見守る面々。

「鈴子さん、だったね。どうして結婚────イヤになっちゃったのかな?」
 彼女は唇を軽く尖らせて暫く黙ってヤサグレていたが、やがてぽつりと呟いた。

「あの義兄が私を手に入れる為に、尋常じゃない手段を使うからです」

 キッ、と静馬の消えた方向を見ると、さっ、と携帯を胸にしまう気配がした。
 安岡は彼女の力んだ姿を見て、思わずクスクスと笑い出した。
「…何ですか、ソレ」
 肩を震わせて、声を押し殺す中年職員に鈴子は訝しげな視線を向ける。
「……ああ、済まない。君があんまり可愛く虚勢を張ってるから、つい」
 やっといつもの調子が戻って来たのか、彼は不満気な表情の彼女に優しい眼差しで見つめた。

「君は彼が好きだね」

 断言されて、鈴子の目が泳いだ。
 落ち着かなくあちこちを見回し、やがて力無く項垂れた。顔を隠す様に項を掻いているが、赤くなっているのは間違いない。

「意地を張るのもいいけど、一度はサインしたんだろう?それになんだかんだと理由を付けても、今、ここに居るのは君の意思だ」
 ぐう、と年の功にやり込められた彼女は、ついに詰めていた息を吐いた。
「─────さて、これは預ろうか。本当はこんな状態じゃ、駄目なんだけどね。君がいつか本当に彼を許してあげた時、ちゃんとした届けを二人で持っておいで。私はいつまでも君達を待っているよ」
 微笑みを浮かべた安岡は立ち上がって、カウンターの柏木をどかし、自らがそこに立った。

 すう、と鈴子は息を大きく、吸う。




  「静馬ッ‼︎」




「はい」
 いつの間に傍に居たのか。
 初々しくはにかむ姿が、何故にこうも似合うのだろう。
「一つだけ、約束して」
 驚く様にこちらを覗き込んでくる、憎らしくも愛しい男。
「嬉しいコト以外の謀はかりごとは、二度としないって誓って」
 顔を上げて、しっかりと視線を合わせた鈴子の唇が戦慄いていた。


「……うっかり、そんなんで死んだら、もう許さないから」


 静馬は己の心の闇が静かに消えていくのを感じた。
 きっと、これからも。
 彼女が隣でこうして傍に居てくれる限り。
「───────はい」







 手続きを済まし、晴れて名実共に彼女を手に入れた静馬は、しっかりと彼女を抱き締めた。


 《賑やか御一行様》及び《偉い人を囲む会》を戸籍課全員で脱力した様に見送った。
「………安岡さん」
 柏木はしみじみとした口調で傍らの、二つ名を持つこの騒動を納めた立役者に囁いた。
「──────本当に、あれで良かったんでしょうか……?」
 縋る様に新妻に抱き付いて、ベッタリと離れない美しい夫。
 殴り飛ばしてもしがみつく、そのしつこさに脱力する妻。
「──────言うな。俺も自信が無いんだ、実は」



 安岡は心から『工藤鈴子』の幸せを祈る。
 どうか、寝覚めの悪い事だけは起こりませんよーに。
「……俺が女なら…幾ら格好良くても、あんなに泣く男はイヤです」
 柏木の呟きが全員の心を代弁していた。
 職員全てに見える様にそっと、後ろ手に彼が合図を寄越す。
 そのピースサインがしてやったり、なのかは分からない。
 願わくば、平和を象徴するモノであればいいなぁ、と居合わせた者達は思った。




  〜fin〜

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