God bless you!
右川亭・右川寺・うーセン
うかわてい?
「右川って、1組の?あいつの家?」
店員の兄さんが、こっちを見てクスッと笑った。朝比奈は恥ずかしそうに店員に小さく謝ると、「声がデカい」と、俺の腕をつついた。
「じゃなくて。なんか右川さん、この店をやたらベタ褒めしてるんだって」
それで周りからは右川亭と呼ばれているらしい。見ると『やました』と壁に店名がある。そのおかげで店が繁盛したとして、見返りに右川亭と呼ばれては店も迷惑だろう。
「右川さん、朝も夜も、ここの定食を食べてるらしいよ」
「どんだけ好きなんだよ」
壁に目をやると〝営業時間は午前11時から〟とある。おそらくこれが食いもん屋の常識だ。
「朝から店なんて、やってるわけないじゃん。それどうみても嘘だろ」
「でもそういう噂なんだもん」
常識よりも、噂が優先。これが〝右川の会〟の常識なのだ。ふと、いつだか右川のリュックから飛び出したギョウザが頭に浮かんだ。何となく目の前のギョウザと似てるような気がしないでもない。
「右川のヤツ、朝から店に忍び込んで盗み食いしてんじゃないか」
目の前の若い店員がクスクスと笑っている。こんなに狭い店では、どんなに小さく囁いても聞こえてしまうのだ。もーどうでもいいやとばかりに、朝比奈の声も大きくなった。
「じゃさ、右川寺は知ってる?」
うかわでら?
「マンションの横に埋もれてるお寺。そのお墓の辺りで右川さんをよく見掛けるらしくて」
一体誰を呪っているのか。なんてバチあたりだろう。
「それじゃ、うーセンは?知ってる?」
ちょっと考えた。「右川のゲームセンター」
「うーん惜しい」
「右川の……あ!バッティングセンターだ。駅前の。カラオケが付いてるヤツ」
「ぶー、右川のホームセンターでしたー」
「そっちか」
溜息をつく。……冷静になれ。俺とした事が。ムキになるような事なのか。どうでもいい事だ。間を持て余して、俺は付随のスープをすする。ここで閑話休題、とは行かなかった。こないだの迷惑な色々が、無性に思い出されてくる。
「あいつ、頭の神経ブチ切れてるよな。てゆうか何なの、あの頭は」
「私ね、なんでいつもそんなに縛ってるの?って聞いた事あるんだけど」
「グッジョブ」よくぞ聞いてくれた。
「来週までに20センチ伸ばしたいんだって」
俺は思わず吹き出した。
「……し、身長を?」
同時に、やっぱり聞いていたであろう店員が、ぶッ!と大きく吹き出した。
「やだもう。髪の毛だよ」
朝比奈が笑うと、それに合わせて店員も遠慮なく大きく笑う。俺は必死で呼吸を整えた。
「どっちにしろ、1週間で20センチなんて無理だろ」
「ゴムで縛ってれば早く伸びるから、って言い張ってたね」
とことん常識は通じないようだ。
「ちょっと変わってるよね。1組でもいつもあんな感じなんだってさ。山Pのファンだって事で池本さん達とは気が合うみたい。だから右川さん、5組にもよく遊びに来るよ」
「ふーん」
あれ?嵐じゃなくて?……まぁいいや。
話の中の池本という女子はナカチュウ出身だ。廊下ではよく見掛けるけれども、俺にはそれほど馴染みがない。どちらかというと、真面目なコ。同じような真面目な男子とテレビの話なんかして、ささやかに賑やかにやっているタイプである。そんな普通の女子と気が合う、変わり者の右川。そんな構図が、いまいちピンと来なかった。
「右川さん、今日5時間目サボって帰っちゃったみたい」
「何で?」と、成り行き上、聞いてみた。
「山Pがテレビに出るとか言って」
嵐じゃなくて、やっぱりそっちなのか。何の得にもならない情報だな。
「すっごく家が遠いんだってね。だからいつも遅刻ぎりぎりなんでしょ」
「それよく聞くけど、ホントかよ」
「ホントらしいよ。2回乗り換えて、北城駅よりまだ向こう。最寄りの駅はバリバリの無人駅。乗り換えも待たされる事が多いから、双浜からだと片道2時間くらいは掛かるとか」
それは遠い。それで遅刻ぎりぎりか。
「君さ、ずいぶん町に詳しくなったよな」
俺は、まるで教え子を讃える教師のように、眩しく朝比奈を眺めた。朝比奈は恥ずかしそうに、ぺロッと舌を出す。
「右川さんの事は、阿木キヨリさんから聞いたんだけどね」
「阿木?」
急に意外な名前が現れて驚いた。「生徒会の?」「うん」と朝比奈は頷く。
「実はさ、生徒会に入るよう沢村くんに頼んでくれって言ったのは、阿木さんなんだよね」
思わず眉間に皺が寄る。「私が言っちゃったって、内緒だよ」と、朝比奈がお願いポーズを取るので、とりあえず頷いた。どいつもこいつも、手段を選ばないヤツらだ。
「阿木さんね、右川さんと同じで、祥地っていう所の出身だって知ってた?」
「あいつらって祥地なの!」
これには驚いた。俺の大きな声に驚いて飛びあがる親父店員を物ともしない。
祥地中学から双浜高に入る生徒はごく稀だ。まず受験する生徒が少ない。てゆうか、居ないと思ってた。祥地の近くには陽成学園という割と新しい高校があって、ヤツらは丸ごとそちらに流れると信じていたからだ。ちなみに俺の4組に祥地の出身は居ないはず。それじゃどこのクラスに居るの?と聞かれても答えに困る。それ位、普段から存在感が薄い。……と、信じていた。つい、さっきまでは。
思えば、阿木は生徒会。涼しい顔で組織の中枢に入り込んでいる。右川の会は連日開催され、サブリミナルの如く会話に紛れ込んで我らの日常を破壊する。まるでウィルスの如く。
「2人とも仲良く、茶道部だってさ」
着物軍団を思い出した。同時に、黄色い帯の座敷わらしも思い出される。茶道は、阿木キヨリにはハマってると言えなくもないが。
「チビにはムダに地味だろ」
店員がまた吹き出したのを、ここはもうサクッと流した。
「右川と阿木って、そんなに仲良いの?」
「ごめん。さっきのは言葉のアヤ。見た所……そういう感じじゃないと思う」
2人のキャラは真反対。大違い。水と油。どう見ても馴れ合う雰囲気じゃない。
右川と阿木。同じ中学出身で同じ茶道部。どこか掴みきれない不可解な空気を感じた。2人共、朝比奈と違って、少数派の不安などは欠片も見えない。実は何か理由があって近い高校を避け、逃げるように双浜にやってきたのではないかと、一瞬頭をよぎった。
それにしても、さすがにデートの最中に〝右川の会〟をやるハメになるとは思わなかったけど。
「双浜高校の1年生?」
不意に、目の前の若い店員から話し掛けられた。聞こえない振りも限界にきていたのだろう。よく見ると、年齢30歳ぐらい。無精ヒゲ。エグザイルに自然と混ざれそうなワイルドな感じ。
こちらの会話を漏れ聞いて、やたら吹き出すテンションの高い兄貴である。
「学校、慣れた?」
「あ、まあ、ハイ」
店員の兄貴はそれに軽く頷くと、黙々と洗い物を始めた。
そこへ別の客、カジュアルなジャケットスタイルの男性が1人、入ってくる。
俺達とは少し離れたカウンターに座ると、「ヒマだな」と、馴染んだ様子で店員に話し掛けた。「ヒマヒマ。この店はオヤジに取り憑かれてる」と、店員兄貴が笑う。その親父は、それには何の反応も見せず、黙々と作業をこなしていた。客と店員兄貴は、近い年頃に見える。そいつは壁に貼ってあるメニューを見ながら、「今日はどれにすっかな」と悩み始めた。俺は、そのメニューの下に積まれてあるトイレットペーパーに目を奪われて……買い置き。何故か1個ずつの包み紙には〝1階東側〟〝旧校舎〟〝クラブ棟〟と、それぞれペンで書いてあるのだ。これって、まさか。
困惑している俺に向かって、朝比奈がこっそり耳打ちしてきた。
「ね、2人共さ、ちょっとイケてない?」
何かと思えば。
嬉しそうに目を輝かせている。2人の兄貴は、永田どころじゃなく強敵という気がする。オッサンじゃねーか、と朝比奈の耳元で囁いた。俺は、最後に取っといた肉の塊を箸でツマむ。
その客は俺達を見て、「よっ、美人のJK」と、にっこり笑った。「俺も、美人と一緒に野菜炒めにすっかな。ライス大盛り。そこの弟くんと同じで」
肉が……とっておきの肉の塊が、つるんと箸先からこぼれ落ちる。

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