God bless you!
「……俺、疲れてる?」
練習は今日も静かに荒れた。
体育館に入ると、外からの光がオレンジ色の床板に反射して、やけに眩しく感じる。今日は体育館の半分を占領して使える日だった。周囲では、体操部がマットの準備を進めている。卓球部はそれを横目に、面倒くさそうにランニングに出て行った。そんな中、我が先輩達はサポーターを足にくぐらせながら、悠々と雑談に興じている。矢吹先輩もその中に居た。
「2階の日避け、降ろしてきてくれる?」と遠慮がちなキャプテンの横で、「おまえら、言われなきゃ分かんねーのかよ。使えねーな」と矢吹先輩が仁王立ち。俺達はすぐさま反応して、左右に散った。
「今日も血を見るな」
「僕、ペーペーの玉拾いで良かった」
気の弱いノリは、本気で怯えている。
1年はボールを運んでネットを張り、準備を終えると休む暇もなくランニングに繰り出す。パスをしてサーブを叩いて、基本練習を一通りこなした後、マネージャーの見張り付きで筋トレ、くたくたになった頃に玉拾いの声が掛かった。ここで、俺と工藤だけが相手コートの前衛ラインに並ぶよう言われる。恐らく今度の練習試合を想定しての事だろう。次々と繰り出される先輩達のアタックを阻止するべく、工藤と対になってブロックを飛ぶのだ。身長187センチの俺と、190の大台寸前の工藤を前に、先輩のアタックは半分が決まり、半分はブロックに弾かれてコートの外に流れていく。
不意に、矢吹先輩が威圧的な睨みを利かせた。打ち込んだ速攻が俺達のブロックで阻止されて、自身の頭に返り討ちしたからだ。
「今の、沢村だよな?」
「俺?当たった感触無いんだけど」
工藤とお互いに罪のなすり合い。先輩は俺達を一睨みして、「クソが」と悪態を付いて列に戻った。
矢吹先輩は、恐らく身長165センチ無い。バレー部で身長が足りないとは致命的だが、万が一ケンカになったとして、背の高い俺達の方が身体的に有利だと思えば、こちらの致命的はわずかに外れていると言える。
矢吹先輩に再び順番が巡ってきた。俺達のブロックを物ともせず、今度の速攻は気持ち良くキマる。それは、かなり重量感のあるアタックで、さすが!と讃えたい所に、
「おまえら全然飛んでねぇじゃんか!」
急に突っかかって来られた。
「オレを舐めてんのか!」
「「違いますっ」」
「あっちの体操部に気奪われてんのかよ!」
「違いますっ」
俺は一拍遅れた工藤の背中をド突いて、2人揃って頭を下げた。とりあえずペコペコしといたものの、もうどうしたらいいのか訳分かんない。体操部云々は別として、確かに矢吹先輩が怖くて工藤のジャンプは縮こまっているかもしれない。全然飛べてないかもしれない。恐らく自分も。
「身内にビビってどうすんだよ。そんなんじゃ練習になんねーんだよ!」
矢吹先輩の大声は、体育館中に響き渡った。実力と身長に同情はするけれど、それを上回る逆ギレに情けもひっくり返るというのが正直な所である。
そっと3年の部長がやってきて、「ねちねち続くだろうけど、暴力タイプじゃないから我慢しろよ」と、俺達の耳許で囁いた。部長にクギを刺されてしまっては、何とか耐える以外にない。
松下先輩は今日も生徒会作業だと言って、部活には姿を見せていなかった。いや1度だけ見せるには見せた。「いつも頼んで悪いな」と俺に頭を下げ、部長に何やら伝言すると、「予算委員会の資料作りが間に合わない」と足早に出て行く。予算委員会。文化祭。あれやこれや。いつも鬼のように忙しい生徒会か。
懐かしいような。切ないような。その背中を見送っていると、「沢村は書記だろ?一緒に行かなくていいのか?」と部長から突かれた。「またですか」ズリ落ちる。
「いいみたいです。あ、何度も言いますけど、俺は書記じゃないんで」
きっちり強調した。仲間とは違う。鈍いのもいい加減にしろ、なんて先輩にキレてはいけない。
練習が終わると、1年の女子バレー部員に混ざって体育館のモップ掛けだった。先にモップを取った3年と2年を捕まえて、「替わります!」と真っ先に声を掛け、先を争ってモップを奪うのが1年部員の鉄則となっている。モップを滑らせている途中で、ネットを片付けている女子バレー部のコと出くわした。工藤の妄想で、俺の元カノになっているとかいう女子である。お互い同じ中学で、ずっとバレーをやっている事もあり、確かに気心だけは知れていた。
「練習試合って来週の土曜日だよね。ウチでやるんでしょ?相手どこ」
「A高」
「ふ~ん。誰か居たかな。ま、暇なら応援ぐらいは行ってやってもいいけどね」
どんな応援になるのか想像もつかないほど、究極に素っ気ない。この程度の会話で噂にされてしまうのだから可笑しな話だ。彼女の朝比奈とは、散々仲良くツルんでいるというのに。
後片付けに忙しい仲間を尻目に、俺はこっそりスマホを確認した。朝比奈からラインが来ている。
『公園の側のコンビニでミカちゃんと立ち読みしてる。その近くのマクドナルドで待ってるね』とあった。ちょっと考えて、『そのマクドナルドって2階建?』と返す。返事を待つ間、残っている後片付けを終えて、水場に直行。着信音に弾かれて画面を覗けば、『そう。2階建で~す』と来ていて、ホッと、ひと安心。いつだったか、お互いに違う店舗を思い描いて、すれ違った事があったから。
こうしてはいられないと、急いで水道水を貪り、顔を洗って面を上げた……その時である。
我が目を疑った。
向こうから、艶やかな着物の一群が近づいてくる。まるで時代劇。大奥を彷彿とさせるが如く、女子の一群が静々と流れ込む。辺りの空気が一瞬で変わるほどの破壊力があった。
「……俺、疲れてる?」
何度も目をこすった。ついに幻を見ていると軽く固まっていると、
「あれは茶道部だよ」
生徒会の雑務を終え、律儀にも再び部活に顔を出した松下先輩に教えられた。
茶道部は、あのように着物を着用し、近所の先生宅・畳の間で優雅にお茶をたてているのだという。
週1日だけの活動。それでも1クラスはありそうな結構な人数だった。
よく見ると列の中間あたり、1年から会計で生徒会に入ったという5組の阿木キヨリを見た。
おかっぱ頭に青白い顔。ちびまる子ちゃんというより、何かの取り憑いた着物人形を彷彿とさせる。彼女は書記の松下先輩に呼び止められ、訊かれた事を従順に答えていた。松下先輩はそこで振り返ると、
「書記がもう一人、やっぱり決まらないんだよ。沢村、このあたりでどうかな」
松下先輩にまた誘われて、「せっかくですけど。俺は無理です」と、当然また断る。書記2人分の仕事を今現在、松下先輩は1人でしている訳だ。ワラにもすがりたい気持ちは分かるんですけど。「もう許してくださいよ。配り物ぐらいなら、いつでも手伝いますから」と殊勝な所を見せた。
その時である。
肩越しに何やら強い視線を感じて振り返った。気のせいか。周囲を見渡した時には、強い視線の気配はすっかり消えて。
静かに着物軍団とすれ違った。
阿木キヨリとは、何の一瞥も無かった。
阿木キヨリについては、ナカチュウ出身ではない、という事位しか知らない。
生徒会室で松下先輩から書類を頼まれる時に、ちょっと顔を見る位で、話した事もなかった。俺に一瞥ないのも当然と言えば当然だが、彼女にはどことなく周りと打ち解けにくい雰囲気があるように思う。どこを気に入られて生徒会に抜擢されたのか、謎だ。
「今日は、イチゴ大福♪」
すれ違い様、茶道部大名行列の一番後ろ辺り、その声を俺は背中で聞いた。
「茶道部はお菓子が食い放題か。やり♪」
ケケケ、と愉快に笑う女子だった。
ため息が出た。
所詮、茶道部なんて、そうゆうやつらの集まりだろう。
振り返ると、行列の1番後ろ、金魚模様の浴衣と黄色い帯が目に飛び込む。
我が目を疑って、再び目をこすった。
「……座敷わらし?」

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