God bless you!
「これあげる♪」と、出てきたのは……何故かギョウザ。
次の日も、女子の週番は欠席であった。
またしても、俺は週番業務をすっかり忘れてしまった。
そろそろ6時になろうかという夕暮れ時。あの巨乳女子も、連日は居ないだろう。実際、居なかった。
書きなぐった日誌を片手に職員室に飛び込んだら、吉森先生も居なかった。
居ない尽くしの筈が、最後に辿り着いたそこに……昨日と同じく、のたうち回る右川カズミが居た。
「まだ、やってんのか」
昨日と同様、プリントを前に唸っている奴を見ていると、何だか家に帰った気がしなくなる。
目が合った。右川はあからさまに不機嫌な顔でプイと横を向くと、にゃあー!と鳴くスマホを覗いて、またまた原田先生に叱られて……閑話休題。
そのまた次の日。女子の週番は元気に出席していたが、前半殆どの作業をその子に任せてしまった事もあって、最後の戸締りだけをその女子に任せ、「後は俺がやっとくよ」と日誌を部室に持ち込んで、のんびり書いている。朝比奈が今日は用事だとかで会えない事だし、どうせ1人の放課後なら先輩軍団や仲間が着替え終わった頃を見計らって、誰も居ない部室で裕々と着替えてやろう。
6時をとっくに過ぎても悪びれもせず、職員室に堂々と入って行けば、吉森先生は居なかった。
そこには……打ちひしがれる右川カズミが居た。目の前はプリントの山である。昨日と違って、何やら、ただ事じゃない様子に見えた。ゆっくりと面を上げた右川の目元が濡れている。こっちは普通に驚いた。
右川は、何やら言い残して職員室を出て行く原田先生の背中に向かって、「先生ぇ~」と切ない声で泣きついている。腕のあたりでゴシゴシと涙を拭うその姿は、右川と言えども哀れ。あれだけ威勢のいい右川が泣くとは……ここにきて、とうとう原田先生も厳しい態度に出ているのかもしれない。補習は今日でもう3日目という所か。先生の出払った誰もいない職員室に、とうとう一人で居残りの所業だった。
都合の悪い事に、今日はツブす時間がたっぷりとある。声を掛けてやろうか。ついでに教えてやってもいいかな。そんな思いやりまで膨らんできた。だが、すぐに悔やまれる。
何故なら右川は、当然のように原田先生の机の引き出しを開けて目薬を取り出すと、慣れた手つきで点眼し、そこに偶然戻ってきた別の先生に向って、うるうるとニセ涙を流しながら、「ペットが原田くんと逃げたぁ」と愉快な不幸を訴えた揚句、「だから帰ります」ヘアピンを弾いて遊んでやがる。
「おまえさ、危機感あんの?」
人を小馬鹿にした態度に我慢できず、こっちは、とうとう声をかけてしまった。
捕まっていた先生は、命拾いしたとばかりに俺と右川を取り残し、職員室を逃げるように出ていく。
右川はリュックを掻き回し、中から何やら巻き取った。よく見ると、どうもそれはトイレットペーパーで。おまえが売っているとか、食っているかという、あの噂の。
右川は、ぐるぐる巻きのペーパーで流れる目薬を拭くと、鼻を、ちん!と噛み、使用後のペーパーは原田先生の物らしいタオルの中に突っ込んだ(!)。
「原田くんもしつこくてさ。アルファベットの点線をなぞっとけ♪って事にしてくれないんだよね」
フザけているのは相変わらずだが、いつかのような俺に対する険悪な態度は見えなかった。それだけ切羽詰まっているのかもしれない。そんなに難しい課題なのかと不思議に思い、「ちょっと見せてみろよ」とばかりにプリントを取り上げた。 ()の中を埋めろという英語の課題。
そこへ原田先生が戻ってくる。
「どうだ、やってるかぁ?ネコばっかり可愛がってないで、ちゃんとやれよ」
何処をどう見ても、原田先生は厳しい態度には見えなかった。とはいえ、ゴミの埋もれたタオルを見たら恐らくキレるだろう。
「もう泣いちゃおっかな♪」
右川はリュックからチョコを取り出して、ポリポリと食い始めた。全く危機感、感じていない。
原田先生は大きなため息をついた。
「右川、このプリント埋めたらほんとに終わりにしてやる。最後の最後だと思って頑張れ」
原田先生は俺の手から課題を取り上げ、それをまた別の課題1枚と一緒に、ホチキスで留めた。
「じゃ、沢村先生、フォロー頼んだぞ」
と、2枚に増えた課題を(!)、何故か俺が渡されて……原田先生は、俺には有無を言わさず出て行った。まるでケモノと一緒に檻の中に閉じ込められた気分である。ここで逃げたとして、俺の担任、吉森先生にそれがどう伝わるだろうか。結構、怖い。ここで原田先生に協力して恩を売っておくのも悪くないと、良いほうに考えてみる。意を決して、右川の隣に座った。
「とりあえず、さっさと終わらせようぜ」
「とりあえず、どう見ても無理っぽいよ」
右川はチョコをまたひとつ口に放り込んだ。にゃあー!と、スマホが鳴る。
俺はスマホとチョコを、まとめて遠くに押しやった。これでどんなに背伸びをしてもチビには届くまい。とりあえず言われたことだし、とりあえず教えてやる姿勢は取ったものの、右川に出されている課題プリントを見れば、その殆どが真っ白で。
「……おまえさ、この3日間何やってたの」
「原田くんがさ、別のプリントにヒントがあるとか言うから、それを見なきゃと、思って思って思って」
右川はリュックを開いて、恐らくそのプリントを探し始めた。中身ぐちゃぐちゃのせいで、その探し物がなかなか出て来ない。ずいぶん時間が掛かっている。
やがて何やら取り出したと思えば、
「げっ!嵐のCD、なんで中身がラブライブになってんだよ。松倉のヤツぅ~」
「さっさと、プリントを出せよ!」
右川は渋々、原田先生から事前に渡されたという何枚かのプリントを、やっと取り出した。見れば、並んでいる例文の中に、確かに課題と全く同じ英文がある。誰が見ても、すぐに分かる。「ラッキー♪」とか言ってるけど。
「おまえさ、ちゃんと探したのかよ」
「てゆうか、プリントと順番が合ってなくない?」
「そこまで親切な訳無いだろ」
「そこが優しくない。探すのが面倒くさい。あんた全部やっといて♪」
右川はへらへら笑って、両手人差し指で交互に俺を指さす。眼の前でチラチラと目障りな。「それはそれで、俺が面倒くさいんだよ」補習課題は実質そのプリントを書き写すだけ。こんなバカバカしい補習を初めて見た。
実力テストの結果如何で補習があることすら知らなかった。仲間の誰かが補習したらしいという話も聞いた事がない。3日も補習されるほどの右川の実力とは、正直どんだけ?
プリント丸写しを終えた右川はシャーペンを転がして、「これで帰れる♪にゃあー!」と背伸びした。
数学100点は事実なのか。いつか聞けずにいた事を、今度こそ聞いてやろうとしたそこへ、別の先生が職員室に入ってきた。
「おや、右川さん。日本語の方も順調かい?」
白髪混じりの現国の先生だった。その先生が言うには、実力テストは国語も補習になってるんだと言う。開いた口が塞がらない。
「日本語は、これからやるよ♪」とか言いながら、右川は肝心の補習課題を出そうともしなかった。「さっさとやれよ」と突けば、「だーかーらー、それは家でやるの♪」と、ポンと手を叩く。
どういう事かと聞けば、
「宿題になってるんだよ。プリントにある漢字を3回写して来る、だからさ♪」
だってさ♪
バカバカしい補習は、まだ存在していたのか。
「あと1回だから、写したら持ってくるねぇ」と50代の先生に向って右川は陽気に手を振った。
先生は右川に一瞥もくれず、窓の外、のんびり遠くを眺めている。補習があんまり続きすぎて先生もネタ切れというか、呆れて正直お手上げなのだろう。
センセイ、だからと言って何故そんな小学生の漢字ドリルのような真似を。いくら見た目が孫仕様だからといって。このまま症状が進めば、最悪、ひらがなの点線をなぞりなさい~も、十分有り得ると思った。
「辞書引いたりしてたら時間かかるじゃん?漢字はどうにも好きになれないねぇ」と右川は頬杖をつく。
「気取ってる場合か。そんなのやらされて、おまえ恥ずかしくないの」
「そりゃ誰かみたいに覗くヤツがいたら、あたしだって恥ずかしいよ」
右川は呪わし気に俺を指さした。またチラチラと目障りで、俺はその指を、ぱちんと弾く。
「そんなの、覗いたヤツのほうが恥ずかしくなるって」
ところで数学はどうだったの?と、恐る恐る肝心の所を尋ねたら、
「何の慰めにもなんないけど、97点でーす♪」
右川は逆ピースを踊らせながら胸を張った。
慰めたわけでも何でもないが……マジか!
右川は、その答案を取り出して、俺に見せた。数学97点。どうやらそれは事実らしい。噂の100点満点には3点足らないという、少ないように見えてこの大きな違いが、さすが鈍い工藤ゆえ、である。
「すげぇ」と感心して見せたものの、数学だけがズバ抜けて出来るというのも、おかしな話だ。俺は下から斜めに睨んだ。
まさか、カンニングでもしたんじゃないか。職員室という場所をわきまえて、あえて聞かなかったけれど、果てしなく疑わしい。
右川はまたリュックに手を突っ込み、今度はガムを取り出して、くちゃくちゃとやり始める。
「そんなんで、よく受かったな。いくらレベルがそう高くない高校だからって」
内申点は期待できないこの態度。数学だけで点数を稼いだという事なのか。同じ高校に入ってしまえば、俺もこいつと同レベルにくくられてしまう。そんな現実、あな受け入れ難し。
「あ、沢村先生、腹減らない?」
右川は荷物を片付けるかたわら、またごそごそと中身を探っていた。
「これあげる♪」と、出てきたのは……何故かギョウザ。
大きめのギョウザが6個、美味そうな焼き色を見せつけるように行儀よく並んでいる。ご丁寧な事に、醤油のミニボトルまで飛び出した。冷凍食品が詰まっているという噂の出所は、これか。
いくら腹が減っているとはいえ、喜んで喰らうというのも癪に障る。手も付けない俺を尻目に、右川は早速、嬉しそうにひとつを手づかみでツマんで食べた。
「うげ、ガム出すの忘れたっ」と顔をしかめながらも、「まいっか♪」と全くお構いなしで一緒にもぐもぐやっている。ゴマ油の香ばしい匂いが辺りに広がって……正直、生唾出てきた。こんな事で右川なんかに迎合してたまるかという意地と本能との戦いである。腹が鳴った。ぐぅーとか言ってる。くっそー……。
にゃあー!と、スマホが騒ぎ出すと同時に、俺は職員室を飛び出した。
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