God bless you!
なんだこの女!
俺は、一瞬、眼がくらんだ。
いくら変わった風貌とはいえ、一見、普通の人間であり、一般的日本人に見える女子が……何を喋ったのか分からない。いや、歌ったのかもしれない。何かを読んだとか。全く分からなかった。
聞こえたまま〝まねゆんしでゅんきくふゅえぢしゃ〟なんて、文字に書くと、まるでバカバカしい宇宙語だ。さっきまで普通に聞こえていたのに。
「%&%$**%$$%:*%$#$$」
何言ってんだ?
「えっと……」
訊ねようとして、そこで俺は妙な事に気付いた。すぐ隣で女子の声を聞いている吉森先生が、この状況を平然と眺めている。まさかと思うが、先生には普通に聞こえているのか。俺を取り巻く世界だけが根こそぎ違うなんて……そんなファンタジー、有りか。
「%&%$‘&◎’%$%$◎&&%?」
女子は俺の困惑には全くお構い無しで、ニコニコと宇宙語を繰り出す。その表情には一点の曇りもなかった。ひょっとして、矢吹先輩のイビリがストレスの頂点に達して、とうとう俺自身が壊れてしまったんじゃないか。入学早々、彼女が出来た。1年で練習試合に出る事が決まった。ミラクルと言えば、ミラクルかもしれない。まさか、これはその報いなのか。
ごくりと生唾を飲み込んだ。
「こら。デタラメ言わないの。男子の前では普通に喋りなさい。モテないわよ」
吉森先生が女子に喝を入れてくれたお陰で、そこで初めて、女子がワザと奇声を発したと分かった。その途端、体の力抜ける。おどかすなよ。マジでビビっただろ。
心を落ち着かせてスマホを開いた。まだ返事は来ていない。時計表示を見ながら、時間を逆算。次の回を選ぶと帰りが遅くなる。それも困る。困るかな。困る振りくらいはするかもな。
そこへ1組の担任、原田先生が入って来る。肌は真っ黒に日焼け。いつも汗だく。先輩から聞いた所によると、原田先生は1年中、短パンと半袖らしい。しかし体育じゃなくて、英語の先生だ。
「おう」と、こっちに軽く挨拶くれた後で、
「こないだの実力テストの補習だよ。ちょっと教えてやってくれないか」
女子を指さし、原田先生は俺に向かって、無邪気にお願いポーズを取った。
「そんな、人に教えるほどじゃないんで」と謙遜しながら遠ざかる。厄介だし面倒だし。てゆうか、そろそろ本気で急がないとマジでヤバいんじゃないか。
「原田くん、それどういう罰ゲーム?沢村なんかに頼るほど、あたし腐ってないからね」
意外な事に女子は俺を知っていた。いや知っているだけなら1年の大体はそうである。だが、呼び捨てにされる程親しい相手ではない。親しい所か、その言い方にはどっぷりと悪意が見えた。
実力テストという言葉に少々引っかかって、女子の手元を覗き込む。プリントの名前欄を見ると1年1組とあり、やっぱりというか先輩ではない。
〝右川カズミ〟
「右川カズミ?」
「ほらぁ!聞いた?親しくもないのに、こいついきなり呼び捨てだよ?」
まるで、俺を悪党に祭り上げるような口ぶりだった。
「俺は、単に、書いてある名前を読んだだけ。そういうおまえだって呼び捨てしただろ」
「言い訳すんな。おまえはおまえとか言うな。いつまでも覗かないでよ。イヤらしい」
なんだこの女!
喉元まで出掛かった言葉を、担任の女の先生の手前、飲み込んだ。
「はいはい。ケンカは後で。ほらぁ早く終わらせないと」と、吉森先生に促されて、右川カズミは渋々プリントに戻った。だが、1分も経たないうちにシャーペンを放り出し、頭に両手を突っ込むと、「ああああー帰りたいよぉ」と、天井に向って吠えた。約束がどうとかお腹が空いたとか訴えて、「すぐに帰りたい。サッサと帰りたい」と暴れ出す。まるでクソガキ。
髪の毛をくしゃくしゃに掻く。後れ毛がバサバサと落ちる。アホ毛も元気よくピンピンと主張する。これが〝右川カズミ〟だった。
ロクでもないやつだ。どこが、にこるんで有村架純なのか。昆虫にも失礼だろ。
改めて見ると、確かに身長が……かなり低い。まさに、ツブ級レベル。俺が男子の中でも高い方だからそう見えてしまうのか。右川カズミが座ってるから、なのか。どっちにしろ5センチ分けたくらいでは、この差は埋まりそうに無いと思った。実力テストが補習だと聞いた事も納得がいかない。噂の数学100点はどうした。やっぱりあれは、工藤のいつもの勘違いなのか。
「その答案って、英語だよな」
「そーだよ。英語だよ。見れば分かるでしょ。ほら」
見ていいのかよ。「だったら、ちょっと、そっちの答案も」
数学らしい答案に手を伸ばそうとすると、
「てゆうか、見てどうすんの?」
右川は答案をスッと隠したかと思うと、おえッ!と、えづいた。
直撃を避けたいという防御本能が働いて、思わず手を引っ込めたその間に、右川は答案の塊をリュックに押し込む。中身がグチャグチャ。どれがどれだか、もう分からない。
「……おまえを、環境委員に差し出す1組の常識を疑うよ」
俺の呟きに重なって、原田先生が、「あっ!」と声を上げた。
「そういや右川、環境委員のあれ。あれどうした?確か今日締切だろ」
「え?どうしたって、原田くん、どうしたの?」
やれやれと原田先生は苦笑いで頭を掻いた。そこで出席簿を取り上げて、「こうなったら〝ア〟から3人、順番でやらせるか。相田マホに井川ノリユキ、と」
ノリが入った。入ってしまった。思わず頭の中で合掌した。
「それと当然、右川もだからな」
「え?何であたし?イノウエさんは?」
「環境委員のおまえを入れて3人だろ」と俺は先生に加勢した。
「あたしなんかいいから、ぜひぜひ、イノウエさんを!」と右川は熱のこもった目で先生に訴える。これが先生と行事をナメきった非協力的な態度だと知ったのは、「1組にイノウエなんか居ないでしょ」と吉森先生が突っ込んだからだ。もう往生際が悪いとしか。
右川は、むぅ~と唇を突き出して見せると、「しょうがないなぁ。じゃ、とりあえずエントリーしといてやるよ」と諦めた様子でリュックに文具を仕舞い始めた。補習も諦めたのかッ、と原田先生は突っ込まなかった。つまり、先生も諦めたらしい。
『本屋で時間ツブしてたんだけど、ごめん。今日はもう無理かな』
朝比奈の返信にはそうあった。俺はお詫びを返信、スマホを閉じて溜め息をつく。今話題のシリーズ最新作。朝比奈と見たかったな。今日は、ツイてない。
あれだけ待ち望んでいた(?)右川カズミとの出会いも、今となっては悪夢である。ほのかな期待まで寄せていた自分は大バカだ。恨めしい。大損こいた。右川の会め、次は俺がけちょんけちょんにしてやる。
1つだけ収穫があった。
右川がリュックでネコを飼っているという噂の出所が判明した。
YESとばかりに、右川のスマホが遥か遠くで再び、にゃあー!と鳴く。
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