呟き以上、物語未満
ひみつの夜の邂逅
書を読むことに没頭してしまい、時計を見やれば随分と夜も更けていた。
明日もまた封書などの整頓や、居ない間に領内で起こったことについて視察に行かなければならない。
そろそろ消灯して、床につくとしよう。
手元を照らしていたランプの灯りを消そうと、遠慮がちに自室の扉をノックする音がした。
「どうした、入れ」
短く告げる。
おおよそ扉の向こうに居るのは屋敷を見回る使用人だと認識しているし、こんな時間に館の主を起こしてでも訪問するとなれば火急の用事だろうと考えた。
ゆえに入室を促したのだが一向に返事もないどころか、次なる行動を起こす気配もない。
ならば、すでに異変は扉のすぐそこまで来ているのか?
護身用の鍛錬用サーベルに手をして、慎重に扉に近づいた。
足音などはしない。小さく呼吸音だけが聞こえてくる。
そこに居るのが不届きものであるならば、現役を退いたとはいえかつての「騎士」の称号を預かるものの屋敷に踏み入るにはあまりに粗末である。
迎撃以外に何の気構えもなく、扉を開け放った。
すると、そこには………
「あ、あの…」
やや目線を下げたところで、その相手と視線がぶつかる。
金髪で異なる色彩の双眸の少年、そして黒髪の一部だけが色彩の異なる少女………現在、この屋敷に暮らす母親のもとに訪れている客人の子供で、兄妹だ。
扉を開けた時の覇気にあてられたのか、少し怯えたような表情でこちらを見ていた。
「…やあ、どうしたのかな?」
予想もしない訪問者に驚きつつも怯えさせてしまったことに少しの罪悪感を抱きながら、努めて可能な限り優しい声音で言葉を返した。
何故彼らがここに二人っきりで居るのか、理由についてはあまり考えが至らない。何度もこの屋敷に訪れているのは知っているが、交流があるわけでもなかった。彼らのことは「客人であり、あいつの子供」という認識しかないのだ。
確か、ディルとティナだったかな…?
その程度のことを思い出すのも精一杯な程だった。
「あの、キッチンに…水が飲みたくて…」
「成程」
妹のティナはすっかり怯えて兄のディルの後ろに隠れてしまっている。
ディルもディルで、たどたどしく話した後は顔がこわばってしまっている。
まぁつまるところ、喉が渇いて二人っきりで寝所を抜け出してきたのだろう。
だが、慣れていない場所で迷ってしまった。
それだけのことだ。
「残念だけど、キッチンは反対側だね」
「…そうなの?」
「うん。良かったら道案内をしようか?また迷ってしまったら大変だよ」
ティナは相変わらず怯えているようで「イヤだ」と口に出すよりもはっきりと態度で拒否してみせたが、ディルが「大丈夫だよ」と小さく言った後に「お願いします」と頷いた。
「じゃあ灯りを持ってくるよ。少し待っててくれるかな?」
「はい」
サーベルを部屋の片隅に置き、先ほど消しかけたオイル式のランタンの取っ手を起こして持ち…そこで、ガウンだけで屋敷内をうろつくには少し肌寒いかもしれないとマントも羽織りつつ兄妹のもとへと戻る。
二人はよく見れば見慣れない部屋に興味を抱いた様子だったが、その部屋の主の挙動を多少の畏怖の視線で見守っていた。
「お待たせ。それでは、行こうか」
頷いたディルの様子を見てから、彼らを先導するようにゆっくりと歩き出す。
特に会話はなかった。夜の帳で暗がりとなった廊下を歩く三人の足音だけが響いている。
時々振り返って幼子たちがついて来ているか確認しながら、頭の中ではキッチンで二人がよく眠れるようにホットミルクでも作るか、ということと、その間に両親のいずれか…もしくは両方に声をかけて部屋に連れ帰ってもらうのがいいだろうということばかり考えていた。
兄妹も何も話すことなく、ただ案内を請け負った大人の背を迷いなく追いかけている。
何事もなく、キッチンにたどり着いた。
「二人とも、そこの席に座っておいで。水でもいいし、ホットミルクを作ってもいいよ」
「えっ、いいの?!」
「いいよ」
眠そうだったティナが嬉しそうに身を乗り出す。頷くと、一層目がきらきらと期待に輝いた。
「俺も…」
ディルは妹の様子に少し困ったような顔をしていたが、小さく希望を述べた。
「分かった。じゃあ二人とも待っててね」
手持ち鍋を棚から引き出して、ミルクを入れて火にかける。あまり熱いと火傷してしまうだろうし、かといってぬるすぎても味気ない。沸騰し始める泡が少し見えたくらいで止めて、探した中では小さめのコップに入れて、兄妹に差し出した。
「少し熱いから、よく冷ましてから飲むんだよ」
「ありがとー!」
「ありがとう、ございます」
ティナは上機嫌ですぐに口をつけたのでヒヤッとしたが、問題なく飲めているようなのでそんなに熱すぎることになったわけではないのだろう。ディルもどこか恐る恐る口に運びながら、こちらは念入りに息を吹きかけて熱を冷ましながら飲んでいた。
「気に入ってもらえたようで良かったよ」
自身の子供が居るわけではないが、よその子供の面倒を見たことがないわけではない。その経験や知識が少しは役立ったようで、小さく息をついて胸をなでおろした。
すると、ティナがじっと見つめていることに気づく。
「…どうかしたかな?」
「あんね!よく見ると…パパに似てるね!」
無邪気なその言葉に少し驚いて、小さく息をこぼした。
「…そうかな…君たちのパパとは、親が一緒だから、そういうこともあるかもしれないね」
「パパと、パパとママが一緒なの?ばぁば一緒?」
「そうだよ」
「そうなんだー!」
ティナが嬉しそうな声をあげ、また一口ミルクを口に運ぶ。その隣でディルが驚いたような顔をしているのを見て、また努めて優しく微笑んだ。
「何だい?」
「…パパと、きょうだいなの?」
「うん。パパからは何も聞いてないのかな?」
そう言うと、ディルが少し迷ったような視線をした後に
「…なんだか、あんまり話したくないみたいだから」
「そう。じゃあ、私が言うのもやめておくよ」
人の家族の形を崩すような行為はしたくはない。少し言ってしまったのだからほとんどこの気遣いは意味はないのかもしれないが、これ以上土足で踏み込むような真似は…どんなにキースに複雑な感情があろうとも、子供を傷つけるような真似は矜持が許さない。
明日もまた封書などの整頓や、居ない間に領内で起こったことについて視察に行かなければならない。
そろそろ消灯して、床につくとしよう。
手元を照らしていたランプの灯りを消そうと、遠慮がちに自室の扉をノックする音がした。
「どうした、入れ」
短く告げる。
おおよそ扉の向こうに居るのは屋敷を見回る使用人だと認識しているし、こんな時間に館の主を起こしてでも訪問するとなれば火急の用事だろうと考えた。
ゆえに入室を促したのだが一向に返事もないどころか、次なる行動を起こす気配もない。
ならば、すでに異変は扉のすぐそこまで来ているのか?
護身用の鍛錬用サーベルに手をして、慎重に扉に近づいた。
足音などはしない。小さく呼吸音だけが聞こえてくる。
そこに居るのが不届きものであるならば、現役を退いたとはいえかつての「騎士」の称号を預かるものの屋敷に踏み入るにはあまりに粗末である。
迎撃以外に何の気構えもなく、扉を開け放った。
すると、そこには………
「あ、あの…」
やや目線を下げたところで、その相手と視線がぶつかる。
金髪で異なる色彩の双眸の少年、そして黒髪の一部だけが色彩の異なる少女………現在、この屋敷に暮らす母親のもとに訪れている客人の子供で、兄妹だ。
扉を開けた時の覇気にあてられたのか、少し怯えたような表情でこちらを見ていた。
「…やあ、どうしたのかな?」
予想もしない訪問者に驚きつつも怯えさせてしまったことに少しの罪悪感を抱きながら、努めて可能な限り優しい声音で言葉を返した。
何故彼らがここに二人っきりで居るのか、理由についてはあまり考えが至らない。何度もこの屋敷に訪れているのは知っているが、交流があるわけでもなかった。彼らのことは「客人であり、あいつの子供」という認識しかないのだ。
確か、ディルとティナだったかな…?
その程度のことを思い出すのも精一杯な程だった。
「あの、キッチンに…水が飲みたくて…」
「成程」
妹のティナはすっかり怯えて兄のディルの後ろに隠れてしまっている。
ディルもディルで、たどたどしく話した後は顔がこわばってしまっている。
まぁつまるところ、喉が渇いて二人っきりで寝所を抜け出してきたのだろう。
だが、慣れていない場所で迷ってしまった。
それだけのことだ。
「残念だけど、キッチンは反対側だね」
「…そうなの?」
「うん。良かったら道案内をしようか?また迷ってしまったら大変だよ」
ティナは相変わらず怯えているようで「イヤだ」と口に出すよりもはっきりと態度で拒否してみせたが、ディルが「大丈夫だよ」と小さく言った後に「お願いします」と頷いた。
「じゃあ灯りを持ってくるよ。少し待っててくれるかな?」
「はい」
サーベルを部屋の片隅に置き、先ほど消しかけたオイル式のランタンの取っ手を起こして持ち…そこで、ガウンだけで屋敷内をうろつくには少し肌寒いかもしれないとマントも羽織りつつ兄妹のもとへと戻る。
二人はよく見れば見慣れない部屋に興味を抱いた様子だったが、その部屋の主の挙動を多少の畏怖の視線で見守っていた。
「お待たせ。それでは、行こうか」
頷いたディルの様子を見てから、彼らを先導するようにゆっくりと歩き出す。
特に会話はなかった。夜の帳で暗がりとなった廊下を歩く三人の足音だけが響いている。
時々振り返って幼子たちがついて来ているか確認しながら、頭の中ではキッチンで二人がよく眠れるようにホットミルクでも作るか、ということと、その間に両親のいずれか…もしくは両方に声をかけて部屋に連れ帰ってもらうのがいいだろうということばかり考えていた。
兄妹も何も話すことなく、ただ案内を請け負った大人の背を迷いなく追いかけている。
何事もなく、キッチンにたどり着いた。
「二人とも、そこの席に座っておいで。水でもいいし、ホットミルクを作ってもいいよ」
「えっ、いいの?!」
「いいよ」
眠そうだったティナが嬉しそうに身を乗り出す。頷くと、一層目がきらきらと期待に輝いた。
「俺も…」
ディルは妹の様子に少し困ったような顔をしていたが、小さく希望を述べた。
「分かった。じゃあ二人とも待っててね」
手持ち鍋を棚から引き出して、ミルクを入れて火にかける。あまり熱いと火傷してしまうだろうし、かといってぬるすぎても味気ない。沸騰し始める泡が少し見えたくらいで止めて、探した中では小さめのコップに入れて、兄妹に差し出した。
「少し熱いから、よく冷ましてから飲むんだよ」
「ありがとー!」
「ありがとう、ございます」
ティナは上機嫌ですぐに口をつけたのでヒヤッとしたが、問題なく飲めているようなのでそんなに熱すぎることになったわけではないのだろう。ディルもどこか恐る恐る口に運びながら、こちらは念入りに息を吹きかけて熱を冷ましながら飲んでいた。
「気に入ってもらえたようで良かったよ」
自身の子供が居るわけではないが、よその子供の面倒を見たことがないわけではない。その経験や知識が少しは役立ったようで、小さく息をついて胸をなでおろした。
すると、ティナがじっと見つめていることに気づく。
「…どうかしたかな?」
「あんね!よく見ると…パパに似てるね!」
無邪気なその言葉に少し驚いて、小さく息をこぼした。
「…そうかな…君たちのパパとは、親が一緒だから、そういうこともあるかもしれないね」
「パパと、パパとママが一緒なの?ばぁば一緒?」
「そうだよ」
「そうなんだー!」
ティナが嬉しそうな声をあげ、また一口ミルクを口に運ぶ。その隣でディルが驚いたような顔をしているのを見て、また努めて優しく微笑んだ。
「何だい?」
「…パパと、きょうだいなの?」
「うん。パパからは何も聞いてないのかな?」
そう言うと、ディルが少し迷ったような視線をした後に
「…なんだか、あんまり話したくないみたいだから」
「そう。じゃあ、私が言うのもやめておくよ」
人の家族の形を崩すような行為はしたくはない。少し言ってしまったのだからほとんどこの気遣いは意味はないのかもしれないが、これ以上土足で踏み込むような真似は…どんなにキースに複雑な感情があろうとも、子供を傷つけるような真似は矜持が許さない。