その笑顔が見たい


夢じゃないよな。

布団に入ったまま自分の唇を親指でなぞる。
休みにも関わらず、早く目が覚めたのは昨夜のことが頭から離れなかったからだ。
眠りは浅かった。


葉月はどういうつもりだったのか?
「じゃあね」と言った時の葉月の顔は笑顔だった。
けれど泣きそうで今にも崩れ落ちそうだったから、頭から追い出そうとしても出て行ってくれなかった。

どういうつもりかなんて、葉月に聞かなければ答えなんてわからない。


「はぁ…なんなんだよ」

ため息が出るくせに、顔はニヤついている。
考えるのが面倒になって二度寝でもしようと布団を頭からかぶった。
しかし今度は一階にいる母親の大声が響いて何事かと飛び起きる。



「やだ、翔太、翔太ー!大変、葉月ちゃんちが」


母親が大騒ぎするのは今に始まったことじゃない。
けれど「葉月ちゃんちが?」というキーワードが耳にこびりついて不安に襲われる。


上下グレーのスエットで寝癖もそのまま、慌てて二階から転がるようにして階段を降りる。
庭に呆然と立ち尽くしている母親と、庭に続いているリビングの窓に親父が無言で立っていた。
二人は同じ方向を見ている。


葉月んちの方だ。


父親の横をすり抜け、裸足のまま庭に飛び出た。
葉月の家とは庭でも繋がっていた。
カーテンが取られていた部屋は室内が外からも良く見えた。
誰もいない。家具もない。部屋はもぬけの殻だった。


いつもおばさんがリビングから僕を見つけては、ドラマのセリフのように大げさな言い方で「翔ちゃん、今日もかっこいいわ」と笑っていた姿。
口数は多い方じゃないけれど優しくて、よく笑うおじさん。葉月はおじさんによく似ていた。


聡は?葉月は?
僕に何も言わずにいつ、どこへ行ったんだ!


人間は状況が急変すると理解するのにだいぶ時間がかかりしばらく動けないらしい。
母も父も、そして僕も葉月んちを見ながら呆然としていた。
いつも綺麗に整えられている庭は少し雑草が生えていた。


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