プルースト
赤い電車を地元の田舎駅で降り、傘をさし、図書館へ向かう。
ぱらぱら、ぱらぱらと傘に当たる雨粒の音が耳に心地よい。
田舎では雨は喜ばれる。
農家が多いから、恵みの雨。
雨の音を聞くと、小さかった頃にお母さんと手をつないで帰った頃を思い出す。水たまりに長靴を突っ込み、泥水を引っ掛けて叱られる。帰宅したあとに温かいシャワーをお母さんと一緒に浴びて、そのあとはあったかいホットミルクを淹れてもらい、飲む。
雨の日はそんなどこかむず痒いくらい大切にされた幼い頃の気持ちがふわっと蘇る気がする。
長靴を履かない足で水たまりを跨いで避け、そうやって歩いて図書館の前まで五分程。
築何年なのかわからない、雨漏りでもしそうなほど古びた、木造の図書館。
もちろん田舎だから規模は小さく、蔵書数だって他と比べたら雀の涙ほどかもしれない。
ただ、田舎特有の空気が流れるこの場所が、私は大好きだった。
ドアの前で恒生に借りた傘を閉じると、紺色にいくつもの薄桃がぺたりと張り付いているのが目に入った。
桜だ。
桜流しはまだ強く吹き荒れていて、
淡い桃色は雨に溶けそうなほど弱々しく見えた。
図書館奥のいつもの席。
先輩は今日もそこにいて、受験生らしくノートを広げている。
後ろから近くと、先輩の柔らかそうな黒髪と男の人なのに薄い背中と、すこし捲られたシャツの袖から筋肉のついた腕が見える。
きっと剣道部で三年間鍛えた腕だ。
先輩の前の席が私の定位置なのにいつもいつも、声をかけるのをためらってしまう。
私には図書館の中で先輩のいるこの席だけが異空間のように思え、いつも、先輩と呼びかける最初の音が喉の奥で迷子になるのだ。
もう何回も繰り返したのに、いざ先輩を前にすると、それまでどんな声で先輩を呼んでいたのかすっかり忘れてしまう。