冷たい雨の降る夜だから
 切れた電話を見つめて、道又先輩と付き合うことになったのを伝えた時、美咲と圭ちゃんもこんな風に喜んでくれたのを思い出していた。

 美咲と圭ちゃんに、会いたい。ふっと浮かんできた二人の笑顔。記憶の中では、ずっと一緒にいるのに、私は2人が今何をしているのかすら知らない。その寂しさにため息をついた。

 手にしていた携帯が鳴って、見ると先生の名前。電話を取りながら、窓の外を伺うと家の外に先生の車が停まっていた。

「すぐ行くっ」

 そう答えて、階段を駆け下りた。

 先生の車のドアを開けると「おはよう」と電話でも言われたその言葉がもう一度告げられる。さっきも電話でこうして目の前の先生に改めて言われると頬が火照る。昨夜、何度となく重ねた唇をどうしても意識してしまう。

「お前、ちゃんと起きてる?」

「お、起きてるっ」

 ボーっとしてるけど? と怪訝な顔をされた。

「行きたいとこ有るなら行くけど、どっかある? 」

 デートなんてしたことのない私は行きたいところも思い付かなくて首を横に振った。

「んじゃ、家帰るかな。外食続きだったしな」

 家? と心臓が跳ねた。先生の家? 付き合った次の日にお家? 回らない頭のまま頷くと、音もなく車が走り出す。先生の運転は丁寧なのに、私は、ジェットコースターにでも乗ってるかのように心臓がバクバク鳴っていた。

 先生の家は、駅から離れたところにある綺麗なマンションだった。

「お邪魔…します」

 おずおずと部屋に上がる私を先生がクスクス笑う。

「大丈夫だよ、とって食ったりしないから」

 その辺座ってなと言われてぺたんとラグの上に座る。先生の部屋は、漠然と想像していた男の人の部屋より綺麗だった。もちろん、男の人と付き合ったことなんてほとんどない私には比較対象なんてないけれど。部屋に入ったときに見た感じ、キッチンも広い。ベッドもクローゼットもこの部屋には無いから、寝室は隣の部屋。

 ここが先生の家、なんだよね……? 連れて来られたものの、私は自分がいる場所にまだ現実味が無かった。場所だけじゃない、今の私と先生の関係すら、まだ夢なのかと思ってしまっていた。カタンと小さな音がしてローテーブルを見ると、先生がグラスを二つ置いたところだった。そして、私のすぐ後ろのソファに先生は座る。

「翠、おいで」

 おいで。教師と生徒だった七年前には一度も言われたことがなかったその言葉に、先生を見つめたまま静止してしまう。さっさと帰れとか、もう来るなとかはたくさん言われたけど、おいでって今まで一度も言われたことない。

 そこまで考えて、そうだよね。と思い直した。昔は教師と生徒だったから、こっちにおいでとか先生が言うわけない。先生の言葉の変化は、私と先生の関係の変化に直結してるわけで、「おいで」と優しく言われるのは、間違いなく私が先生の『生徒』じゃなくなって、『彼女』になったから。考えなきゃいい事を考えてしまって、改めて気付かされた私と先生の今の関係に一気に頬が火照った。
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