私はミィコ
少しずつ
はっと目を覚ますと辺りは真っ暗だった。
……やってしまった、と思った。
完璧にしてみせるという意気込みはどこへ消えたんだろう。
眠ってしまうなんて。

起きると私は猫衣装ではなくなっていた。
昨日と同じバスローブ。
そして、隣には健やかな寝息。


「あ……」

彼は横で眠っていた。
どうやらここは彼のベッドらしい。
……一体どういうつもりなんだろうと思った。
猫として可愛がるのが目的なら、私のことを起こすべきじゃないの?

ベッドまで運んでくれたのは彼なんだろうか。
着替えさせたのも彼なんだろうか。
それとも、女性同士ということでメアリや他のメイドさんなんだろうか。
今の時間も分からないが、どうしてここに眠っているのかもわからない。
分からないのに何故か、ぐっすり眠る彼を見ていると泣きそうになった。
これは罪悪感なのか。それとも、情けない自分への悔しさ?

分からないけど、正体不明のぎゅって気持ち。
それを誤魔化すみたいに抱き着いた。


「ん……ミィコ……?」
「あ…………」

ぱちり、と彼のまぶたが開く。
起こしてしまったかと焦る。
彼は穏やかに笑った。

「大丈夫だよ、おやすみ」

驚くほどに優しい声で紡がれて。
頬へと柔らかな唇が触れる。
それから抱きしめられて背中を撫でられる。
涙が零れそうになった。
きっと知らない誰かにこの気持ちを伝えたら、バカみたいって言われると思う。
だけど、……だけど。
私はこの瞬間、心から猫になりたいと思った。
他でもない、この人の“ミィコ”に。




朝、目が覚めるとベッドは空だった。
隣に彼がいない。
いつの間に起きたのかも知らなかったし、また朝食を一緒にっていうのもなかった。
のそのそと起き上がって廊下へと出る。
私はどれくらい眠っていたのだろう。


「あ、ミィコさま。今からお迎えに行こうと思っておりました。旦那様より、随分とお疲れのようでしたので寝かせておけ、と。まあ、慣れない環境で体が疲れているんでしょう。致し方ありません」

向かい側から歩いてきたメアリは、挨拶もそこそこにそう一気に言い切る。
怒るでもなく呆れるでもない口調に安堵と同時に情けなさがこみ上げる。


「昨日……すぐに、寝てしまって。朝も見送れないなんて」

言葉に出したら声が震えた。
メアリはふっと笑った。

「ミィコ様らしくていいんじゃないですか。ペットが毎朝飼い主を見送るなんてあんまりないでしょう。さて、今日も朝食のご準備が出来ております。昨日夕飯を食べていませんしお腹が空いたんじゃないですか。食べたらシャワーの準備をしてきますね」

「ありがとう……」

一週間で10万円。
歩き出しながら改めてその金額を思い出す。
こんなに美容室代まで出してもらって、可愛くしてもらって。
やっていることと言えばせいぜい猫のコスプレぐらいだ。
私は、お金に見合った働きをしていないように思う。
このままで、いいのかって不安になってくる。



「おはようございます。よく眠れましたか?」
「ええ、お陰様で」

また寂しい食卓につくと、高柳さんが出迎えてくれた。
椅子を引いてくれて、やっぱりお姫様かお嬢様か何かに生まれ変わったような気持ちになる。


「今日は和食にしようかと。よろしいですか?」
「ええ、ありがとう。何でも大丈夫」
「かしこりました。お疲れのようですので、おかゆをメインに振る舞わせていただきます」

深々とお辞儀をして、高柳さんは奥へと引っ込んでいく。
頭がぼーっとする。寝すぎだろうな。何時間くらい眠っていたんだろう。



「それではゆっくりとお召し上がりください。お飲み物は同じで?」
「ええ、昨日のお茶がおいしかったから、お願いします」

そんなやり取りを交わしてゆっくり朝食を頂いた。
和食も抜群においしかった。

食べ終わってメアリの案内でお風呂へ行く。
今つけているカラコンはひと月つけっぱなしでも大丈夫らしいと教えてもらった。
それでもずっと入れっぱなしは気になって一応お風呂の前は外す。


よく温まってから出て着替える。
ミィコの衣装に。


部屋に戻ってのんびりしているとまた眠ってしまっているようだった。
寝すぎだと、自分でも思う。
起きたら夕方になっていて驚いた。
すぐに、彼が帰る時間になった。
急いで準備をして彼の部屋へ向かう。


「ただいま、ミィコ」
「んにゃあ」

彼の姿はなんだか久しぶりに見たような気さえした。
朝に会わなかっただけなのに。
だからかすごく嬉しくて、撫でる手にすり寄る。
彼は嬉しそうに笑ってくれるから、私まで嬉しくなる。


昨日みたいにソファーに座った彼に手招きされる。
また這っていって膝の上に乗る。
何だか待ち焦がれていたみたいな気分のせいか、足を開いて彼の太ももの上へと座った。
首へと腕を回して抱き着く。
彼は頭をぽんぽんと撫でた。


「どうしたミィコ。寂しかったのか」
「にゃあ」
「そうか。朝、起こせば良かったかな」

すりすり。
首に鼻先を擦りつける。
彼は優しく背中を撫でてくれた。
また眠くなりそうで首を振った。
ちりりん、その度に鈴が鳴り響く。


「にゃーにゃ」
「ああ、今日は寝たくないのか。可愛いな」

にゃだけで伝わったのか彼はそう頭を撫でてくれた。
不思議とそれが嬉しい。
ぎゅうっと力を入れてしがみつく。
……伝わるぬくもりが、嬉しい。
この人と離れたくないと思う。
まだ出会ったばかりなのに。


「ミィコ。……好きだよ」
「!」


顔を覗き込まれて、唇が頬へと触れる。
ほとんど同時に紡がれた言葉に私は思わず硬直した。


「今日のお前はすごく可愛い。甘えてくれるのは嬉しい」
「……にゃ」

彼は瞳を細めてそう紡いだ。
形のいい唇が、額へ、鼻筋へ、目元へ、頬へと滑る。
唇の端にも口付けられてドキリとした。
唇だけは避けるのは、一応の遠慮なんだろうか。
……私は、気にしないのに。

焦らされている気分になったから、なのか。
短く鳴いてお返しとばかりに頬へと唇を触れさせる。
彼は驚いたように瞬いたあと、優しく私を抱きしめてくれた。

腕の中はあったかい。
愛されているのが分かる。
……それはもちろん私、じゃなくて“ミィコ”なんだけれども。


「明日は休みなんだ。一日一緒にいよう」

彼のその言葉に心から嬉しくなるのが分かった。
こうして戯れているのも嬉しいけれど。
それが続くかもしれない、思うだけで期待で心音が高鳴る。


「にゃにゃ」

作り物のしっぽは動かせないけれど、私に本当にしっぽがついていたらそれは喜びを表して揺れていたんじゃないかと思う。
自分でも不思議なくらいに嬉しい。
もっとこの人といたいと思う。
理由なんて分からないけれど。


「ミィコはしたいことはあるのか?」
「……にゃ」

したいこと、と言われて浮かぶのは外でのデート。
でもそれが叶うわけないのは知っている。
だからゆっくりと首を振った。


「そうか。それなら、明日は一日のんびりしようか」

彼はそう笑った。
だから私はゆっくりと頷いたのだった。


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