副社長はウブな秘書を可愛がりたくてたまらない
「そう言われましても、困りますねぇ。うちは指定された住所へ運び込むまでが仕事なんで。ちゃんと、ご本人様から契約書もサインしていただいてますし」

 彼は青の作業着に付けていたポーチから、今朝私が渡した契約書を取り出す。

 そこにはもちろん、私のサインと捺印があった。

「あ、で、でも……」

「もうあと二、三個で運び終わるんで、運び終えたら荷物のご確認ご一緒にお願い致します」

 作業に戻った男性へと伸ばした私の腕は、空を切ってポトリと落ちる。

 社宅を管理しているのは、人事部の仕事だ。引越しの手配や入退去時の立ち会いも全て、人事部の担当者が行ってくれる。

 だから私は間違いなく人事部に指定された、書類に書いてあった住所へ引越しするはずだったのに、それがどうしてこんなことに?

「……そういえば、立ち会いに来るはずの人事部の担当者がいない」

 ポツリと呟くと、私は先ほどまで背後にいた三浦と呼ばれていた男性がいなくなっていることに気付いた。

 ま、まさか、あの人……。

 急激に鼓動が早くなり再び副社長を見上げると、彼は緩やかに口角を上げて怪しい笑みを浮かべた。
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