ただひとりの運命の人は、私の兄でした

終わりの始まり

秋になると、本格的に付属大学に進学したい生徒への希望学部の三者面談が始まる。
その時には一応保護者にも付き添って貰わなければいけない。
ここで私が頭を抱えたくなる問題がまたひとつ。母に連絡をしても、予定があるから無理だとすげなく断られたのだ。
「お母さん……!一応ね、娘の将来がかかってるんだよ?何とかならないかな」
電話越しにイライラしながら私が訴えても、のれんに腕押し、糠に釘と言った調子の母が楽しそうに答える。
「光希さんに行ってもらえばいいじゃない」
「あのねぇ、私の親権者はお母さんでしょ?娘の将来より優先しなきゃならない用事って、一体何なの」
「んふふ、お花のお教室のね、展示会があるの!お母さん、それの案内役をやらなきゃいけなくて!お師匠さんに特別に気に入られた人しか出来ないんですって。これがどんなに名誉な事か分かる?あおいちゃんには難しいかしら」
母の浮かれっぷりに私は頭が痛くなりそうになった。話が全く通じない。
「それ、お母さんじゃなきゃ駄目なの?ねえお願い、今回はどうしても来てほしいの」
「んー、でもその日の為に新しいお着物も買っちゃったのよねぇ……ネイルの予約も入れちゃったし。しかもそれが、カリスマネイルアーティストって言われてる人にやってもらえるのよ!滅多にないチャンスなの!!」
さらなる容赦ない追いうちに、私は目眩を覚える。
……そうか、私の進路よりも、お師匠さんお気に入りであるアピールと、カリスマネイルアーティストの予約と、新しいお着物のお披露目の方が大事なわけか。
昔から少女みたいな母だったけれど、今の旦那さんに散々甘やかされているらしく、ますますそれがひどくなった気がする。
こういう我がままでいつまでも無邪気な女性っていうのは、男の人にとってはたまらなく魅力的なのだろうか。
そういう女性になるのは、私には到底無理だけれど。
そしていつか私が母親になる日が来たら、何よりも子供を優先してあげようと決意を新たにした。
深いため息を吐きながら、私はがっくりと肩を落とした。
すると、後ろからひょいと受話器を取り上げられたので、慌てて振り向くと光希が立っていた。
「光希……!」
私が驚いて声を上げると、光希はしーっと人差し指を口にあててにっこりと笑った。
「あおいのお母さん、御無沙汰しております。光希です」
光希は母と穏やかに話し合いを進めた。
どうしても都合がつかないのであれば、自分が三者面談に出席するということを伝えると、母は渡りに船とばかりに光希にその仕事を押し付けた。
我が母ながら恥ずかしくて情けなくなる。
電話を切って私に向かって申し訳なさそうに光希は眉を下げた。
「ごめんね、三者面談は僕で我慢してくれるかな?保護者として精一杯頑張るつもりだよ」
「謝るのはこっちの方だよ……うちのお母さん、相変わらず自分のことに夢中みたいで」
「ははっ、元気そうで何よりだよ。でも、自慢話が長くなりそうだからうまいこと切りあげちゃったけれど」
そう言ってぺろっと舌を出す光希は昔と変わらず優しくて、私も思わず微笑んでしまう。
あの母にもやもやとしたものを抱えているのは自分だけではないのだとほっとする。

しかし、光希が来るとなるとまた頭を抱えたくなる問題がまた一つ発生したことに気が付く。
恐らく光希は大注目の的になって、思いっきり目立ってしまうだろうということだ。
私としてはそれは避けたい。『なにこのイケメンの傍にいるちんちくりん』という白い目が突き刺さるのはまあ慣れっこだけど、光希がみんなに見られるのが嫌なのだ。
はっきり言えば、これはただの独占欲。

誰も光希を見ないで。光希のことを好きになったりしないで。

私の中には、いつもこんな黒いどろどろした感情が渦巻いているのだ。ああ、何て醜いんだろう。しかしもはやそれは私にはどうにも出来ず、私の全身にはびこっている。

三者面談前日の夕食の席で、私は思い切って光希にお願いする事にした。
「光希、……あのね、三者面談のことでお願いがあるんだけど」
「うん、なぁに?」
「えっと、出来るだけ目立たない服装で来てほしいなぁって」
「ん?」
私の意図を図りかねる様で、光希はこてんと首を傾げた。

あ、かわいい。

光希は本当に出来る男のくせに、こうやってたまにあどけない仕草で私の心をきゅんとさせる。こういうの、ギャップ萌えって言うのだろうか。
いや、そんなことを考えている場合ではなくて。

「ほら、光希ってモデルみたいに目立つでしょう?だからさ、また注目の的になったら人だかりができちゃうかなって……」
「えぇっ、そんなことを気にしていたの?大丈夫だよ。こんなおじさん、誰も相手にしないから」
「……そんなこと言うけれど、……前に来た時、光希は女の子に囲まれてた……」
私がぼそっと言うと、光希はぽかんとした後に満面の笑みを浮かべた。
「なぁに?やきもちやいてくれたの?」
「そ、そんなんじゃないけど……ほら、色々大変だから……」
しどろもどろで訳のわからない言葉を重ねる私に、光希は目を細めて笑いかけてくれた。
「嬉しいよ、あおい」
「えっ……」
「大丈夫、僕が持っている中で一番地味なスーツを着ていくから」
私を安心させるように光希はそう言ってくれたけれど、私は何だかドキドキしていた。
嬉しいってどういうことだろう。
私の心配が嬉しかったの?それともやきもちが?
喉から言葉が出かかったけれど、結局何も聞けないまま終ってしまった。

そして面談当日、私の不安は的中した。
光希が学校の廊下を歩くと、モーゼの十戒みたいに人がざあっと掃けていった。
まるで本物のモデルかと見まごう程のいい男が安っぽい学校のリノリウムの廊下を歩いている光景は何とも違和感があった。
男子は畏怖の目で光希を遠巻きに見つめ、女子は憧れを込めた熱い視線を光希に送った。

一番地味なスーツを着てくるなんて言っていたけれど、そりゃまあ確かに色は抑えめかもしれないけれど、逆にそれが光希のルックスを際立たせてしまっている。なんてことだ。
全体のトーンをグレーで統一したコーディネート。ミディアムグレーのスーツにダークグレーのネクタイを合わせている。白いシャツは一目で高級なものと分かる素材で、彼がセレブリティであることをはっきり知らしめていた。
シックで、落ち着いた印象なのに大人の色香をほんのりと漂わせていてる。私でさえ一瞬見惚れてしまったほどだ。

「あおい、お待たせ。今日は立派なお兄ちゃんを務めさせていただくよ」
教室の前で待つ私に軽く手を上げてにっこりと微笑む光希。あまりの格好良さに、私の胸はきゅんきゅんと煩くわめいている。
そしてやはりと言うか、周囲から集まる視線。光希に対する羨望の眼差しと、私に対する蔑んだ視線。
「……今日はごめんね。会社を休ませちゃって」
周囲に会話が聞こえないようにぼそぼそと呟くと、光希は私の頭をぽんぽんと優しく叩いた。
「大切な妹の進路がかかってるんだ。会社なんかよりよっぽど大事だよ。あおいは何も気にしないでいいんだよ」
「ありがとう……」
光希の有り余るほどの愛情を与えられて、私は本当に幸せ者に見えるんだろうな。実際、妬みすら混じった視線が痛いくらいに肌に突き刺さり、私はこっそりため息を吐く。私の中の葛藤なんて、きっと誰も知らないのだ。

三者面談は実に和やかに終わった。
いつも口うるさい担任の先生も、光希のルックスに胸を撃ち抜かれた様で、終始瞳を輝かせてにこやかに振舞っていた。
人は見た目が9割とはよく言ったものだ。普段とのあまりの態度の違いに私は呆気に取られた。
「多分、このままいけば文学部の推薦は取れると思いますよ。如月さん、頑張ってね。先生、本当に応援してるから!」
「はぁ……」
お小言ばかりでいつもカリカリしている先生が、突然熱意溢れる理想的な先生に化けてしまった。女はこわい。
「良かったねあおい!僕も応援しているよ」
「素敵なお兄様がいて良かったわね、如月さん」
何だこの茶番は。
私はぺこりと頭を下げて、有難く先生からの応援の言葉を受け取った。

教室を失礼すると、どっと疲労感が身体にのしかかってきた。
「あおい、良かったね。このままだと推薦もばっちりじゃないか」
「うん、何とかなりそうでほっとした」
面談の内容どうこうより、あの担任の先生の光希への熱烈アピールを見ていたらげんなりしてしまった。
光希に絡みついたあのねっとりとした視線にぞっとした。一刻も早くここを立ち去ってしまいたかった。
「あれ、あおい?お前も今日、面談だったのか?」
後ろから掛けられた声に振り返ってみれば、そこには藤井君が立っていた。
「あ、藤井君も?」
「うん。俺はまだ学校でやりたいことがあるから、母親には先に帰ってもらったけど。どうだった?」
「今のところ良い感じだよ。藤井君は?」
「俺もこのままいけば……って感じかな。最後まで油断はできないけどな」
「すごいねぇ……」
「あれ、お隣、お兄さん?」
藤井君は私の隣の光希に視線を送り、興味津々な表情をした。
「はい、如月光希と申します。あおいの兄です。あおいが仲良くしてもらっているようで有難うございます」
光希はパーフェクトな笑顔を浮かべて、藤井君に向かって頭を下げた。
「いえっ!仲良くしてもらっているのはこちらの方です」
藤井君は顔を真っ赤にして慌てていた。何だかその様子が可愛くてくすりと笑ってしまう。
「あおいは誤解を受けやすい子でね。僕も心配していたんだ。君みたいな好青年が友達なら本当に安心だよ」
「いえ、俺は全然です!それよりも、あおい、……いや、如月さんからいつもお話を伺ってます。とっても素敵なお兄さんだって」
今度は私が赤くなる番だった。光希のいないところで光希の自慢をしている妹であることがバレてしまった。恥ずかしくて死にそう。
「如月さんたちは仲の良いご兄妹なんですね。それなのに、大学入学したら如月さんは家を出て行っちゃうなんて勿体ないなあって思います」
藤井君の何気ない一言は、一瞬にしてその場の空気を凍りつかせた。
私の心臓はどくん、と大きく撥ねあがった。
私があの家を出ていくことは、まだ光希には話していないのだ。
おそるおそる光希を見やれば、先ほどと全く変わらない笑顔を浮かべていたが、ひとつだけ変化していたものがあった。
瞳の温度が急激に下がって、感情が無くなっている。
私の背中に悪寒が走り抜けた。
きっと光希は怒っている。どうしよう。

「……ふふ、あおいは本当にお兄ちゃん思いの子でね」

穏やかに光希は会話を続けていたが、私は血の気が引いていく気がした。
この場で何かが崩れ去った事を、私と光希だけが感じ取っていた。


光希はずっと黙っていた。
学校から駐車場に行くまでも。車で家に向かう間も。
私は光希が何を考えているのか分からなくて、もう生きた心地すらしなかった。
指先ががたがたと震えそうになり、ぎゅっと手を合わせて握り締めて何とか平静を装った。
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