ただひとりの運命の人は、私の兄でした

強くなりたい

「かんぱーい!!」
久々に会った私たちは、高校時代と変わらずジュースで乾杯する。
今日のごはん会は、新宿のイタリアンレストランで。と言っても大学生が行ける様なリーズナブルなところ。ただ、味は確かで、いつもたくさんの人で賑わっている。
大きなチーズの器のなかでライスとチーズを混ぜ合わせて作ってくれるリゾットは特に大人気だ。
ぷうんと香ってくる濃厚なチーズの香りは、私たちを幸せな気分にしてくれる。
「元気だった、みんな!?」
絹がジンジャーエールをゴクゴクと勢いよく飲み干す。
「いやぁ、元気だけど勉強が大変。化学実習はしんどいことばかりだし、分子化学序論は再試験者がごろごろ出る魔の科目だし」
藤井君は眉間にしわを寄せながらコーラのグラスをゴンとテーブルの上にぶつけた。
「あーあ、早くみんなで酒飲みたいなぁ」
本田君はつまらなそうに手の中のグラスを弄んだ。
「うん、みんなでお酒で乾杯ってやってみたい」
「格好付けてワインでも飲んじゃう?」
「うわぁ、俺、絶対に味わかんねぇよ!!」
本田君の言葉に皆一斉に大笑いをし、私もくすくすと笑ってしまう。成人したら、皆でお祝いに飲み会を開くことになっている。
その時には少しだけ背伸びして、ちょっとオシャレな店に行ってみようかなんて話も出ている。高校の時から私と仲良くしてくれるこの三人を、私は心から大切に思っていた。

「藤井が医者ってピッタリだよな。メス握って冷血な微笑を浮かべる姿とか似合いそう」
「うるさい。お前こそ悪徳弁護士になりそうだぞ」
「おうおう。一緒に組んで丸儲けしようぜ?」
「まあそうなっても俺はヘマしないけど、お前が心配だよな」
「どういう意味だよ!?」
藤井君の本田君の掛けあいも楽しくて、私は笑いっぱなしだった。
そんな私を見て顔をきょとんとさせたのは藤井君だ。
「あおいってさ、高校時代よりよく笑うようになったよな」
「えっ、そうかな?」
「そうそう、それ思う!まぁ、あおいって誤解されやすいっていうのもあったけど、いつも何かに悩んでいる感じだった。思いつめているっていうか」
絹の鋭い指摘に、私は思わずぎくりと身体をこわばらせた。
「ほら、色々と悩める乙女だったんだろ、あおいだってさ」
何かに気付いた藤井君はそれとなくフォローを入れてくれた。
「私も悩める乙女だったんだけどなぁ」
絹が唇を尖らせて不満そうな表情を浮かべたが、本田君がその背中をばしばしと叩いた。
「絹が何かに悩むとかあるのかよ」
「失礼だねー!!」
二人の軽快なやりとりを聞きながら藤井君にそっと視線を送ると、何もかも分かっているかのようにこくりと頷いてくれた。本当に高校時代から、藤井君には助けられてばかりだ。

私たちはお酒が飲めない分、食事でお腹を満たした。食べざかりが四人も揃うと、いくら頼んでもあっという間にテーブルの上が綺麗になってしまう。
チキンのトマト煮込み、白身魚のカルパッチョサラダ、タコとトマトにモッツァレラチーズのバジルソース。ラビオリも、マルゲリータピザも、もちろんチーズリゾットも。
私たちはお喋りの口を動かすのと同じくらい、いやそれ以上に食べる口を動かした。
大学になって周囲に警戒心が無くなったとは言っても、この仲間で集まる時は特別に楽しくて、私はばかみたいに笑った。

「そういやさぁ、あおいのお兄さんって如月光希だよな?」
一通りの食事を終えてコーヒーをすすっている時、本田君がそんなことを口にした。
“光希”という言葉の衝撃に、私は一瞬気がすうっと遠くなった気がした。
「……え、あ、一応そうだよ。なにかあった?」
私は自分を立てなおし、何とか平静を装って問いかけた。それでも心臓はどくんどくんと変な風に鼓動を打ち、自分の耳にまで聞こえるほどだ。
「あの人さ、結婚するの?」
本田君の言葉に、私は頭を思い切りぶんなぐられたような気がした。

結婚。

……ああ、とうとう来てしまったのか。

頭の中にぐわんぐわんと重苦しい音が響いている。手も足もすくむような気持ちになる。

「それホントかよ?根も葉もない噂じゃないのか?」
藤井君が焦ったように本田君に言い募った。
「いや、俺もよくわかんないけどさ。インタビュー記事をネットでちらっと読んだだけだから。如月光希が結婚について聞かれていたんだよ。そうしたら、“ベタ惚れしてる女性がいます。プロポーズは時期を見て”って言ってたからさぁ……」
詰め寄られた本田君は、困ったようにそう答えていた。
「えぇっ!?そうなの?あおい、そんな話を本人から聞いたことある?」
絹が驚いて私に問いかけてきた。
なかなか酷な質問ではあるが、私は肩をすくめて答えた。
「さあ?光希は私にプライベートをちっとも教えてくれなかったから分からないや。いつの間にそんな人がいたんだろうね。光希もやるなぁ」
ははは、と私が笑うと、その話題は自然と終っていった。

皆が一緒で良かった。
きっと私一人だったら、奈落の底に突き落とされたようになって、きっと這いあがっては来られなかっただろうから。

ネットインタビューはチェックしてなかったなぁ。
そんな大事な情報を見落としているなんて、如月光希ファンとして失格じゃないだろうか。

みんなの会話がどこか遠くで聞こえてくる感覚を持ちながら、私はぼんやりとそんなことを考えていた。悲しみが波の様にうねり、見事に飲みこまれてしまっていた。


お会計を終え、店から出た私に藤井君が声を掛けてきた。
「あおい、このあとちょっとお茶飲まないか?」
「……藤井君……」
彼の表情は曇っていた。きっと、先ほどのことを心配しているのだろう。
その優しさが胸に沁みて、鼻の奥がつんとした。
「あ、二人抜ける?私たちさ、カラオケ行きたいからここで別れようか」
「ここからすぐのカラオケだから、後から参加したくなったらいつでも来いよー」
私たち二人の微妙な空気を感じ取って、絹と本田君は気を使ってくれたのだろう。手を振ってさらりとその場から離れた。
「……ごめん、私、やっぱりさっきの話、ショックで」
笑おうとしたけれど、ダメだった。
ぽろ、と涙が零れてしまった。
「話なら聞くから。あおい、まだ光希さんのこと好きなんだろ?」
「う……」
一旦流れ出した涙は、もう止まってはくれなかった。堰を切ったように後から後から溢れて視界を霞ませた。


結局私たちもカラオケに入った。と言っても、絹たちと同じ場所ではないし、別に歌う為でもない。ただ、ぐずぐずと泣く私を連れてファミレスやファーストフードに入ると人目についてしまうので、とりあえず泣いても喚いてもいいところ、ということでカラオケになったのだ。

金曜の夜だというのに意外とすんなり部屋に案内されたのはラッキーとしか言いようが無い。
アルバイトと思われる女の子に部屋に通されてドアを閉めた瞬間、私は崩れ落ちるかのようにシートに座った。
「おい、大丈夫かよ!?」
藤井君は慌てて私の顔を覗き込んだ。
「平気だよ。泣きすぎてくらくらしただけ。はは、情けない」
「……ショックだよな。あおい、本当に光希さんのこと好きだったもんな……」
「こうなることを望んで家を出たのに、いざ現実に直面すると大ダメージ受けるものだね。あーあ、ばっかみたい……」

ほんとばかだ、わたし。

そう思ったら、また涙がぶわっと溢れだしてきたので、藤井君は落ち着かせるように私の背中を叩いてくれた。

光希が幸せになることが嬉しい筈なのに、半身を切り裂かれた様な痛みを味わっている。
私の恋が叶う可能性がゼロになったことがこんなに悲しいなんて、私は何て自分勝手な人間なの。
私の中にどろどろと渦巻く黒い感情は、こんなに醜くて汚い。

「……あおいさ、光希さんに好きだって言ってみたらどうだ?」
思いがけない一言に、私は息が詰まるほど驚いた。
目をぱちぱちと瞬かせて、鼻水をずる、と大きく啜った。
「そ、んなの、無理だよ」
そんなこと、想像しただけで血の気が引いていく気がした。
妹として溺愛していた私に突然愛の告白をされたら、一体どんな気持ちになるだろう。
蔑む様な目で見られ、侮蔑の言葉を耳にしたら、私はもう生きていけない気がする。
「無理かどうかなんてやってみなければ分かんないだろう」
「こわい、……無理、できない」
「心理学的にもな、やってしまった後悔より、やらなかった後悔の方が大きくなるって言われてるんだぞ?このままでいいのかよ」
藤井君は私の肩を掴み、しっかりしろという風に揺さぶった。
私の唇はわなわなと震え、涙が次々溢れた。
「今すぐとは言わない。ただ、必ずいつか伝えないと後悔する。それに、もし玉砕したら、またいくらでも話を聞いてやるから」
藤井君は柔らかく微笑んで、私を勇気づけてくれた。

光希に想いを伝える。

それはとても恐ろしいことだけれど、いつかやらないと、私の中でけじめがつかないのだろうか。確かにいつまでも逃げてばかりじゃ前に進めないかもしれない。
それでもすぐに決心はつかなくて、私は頷くことが出来なかった。

結局そのあと私たちは、うっぷんを晴らすように朝までカラオケで歌いまくった。
私も藤井君も流行りに敏感なタイプではないため、選ぶのはちょっと前の歌だ。
「懐メロ大会だな」
「だって、最近の歌、分からないんだもん」
「俺もだ」
藤井君は洋楽の歌を熱唱していた。とてもサマになっていて、私は心から感動して拍手を送った。
私が歌うのは、光希が良くあのマンションで聴いていた歌だ。
光希がメロディをくちずさんでいたのを思い出し、懐かしさに胸がきゅうっと切なくなった。
しかし、いつまでもこんな感傷に浸っている訳にはいかない。
光希の幸せを心から祝福するためにも。自分が前を向くためにも。
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