ただひとりの運命の人は、私の兄でした
「何かさ、……最近あおいの部屋から変な声が聞こえてくるけど、大丈夫?」
翌日の朝食の席で、絹が心配そうに声を掛けてきた。
私の毎晩の唸り声や妖しい笑い声が聞こえてしまっていたようだ。私はみるみる耳が熱くなるのを感じた。
「……ごめん。聞こえちゃった?何でもないんだ、ホント。ちょっと行き詰っている事があって。たまに心の叫びって言うの?勝手に出ちゃうんだよね」
「あの、ルームシェアにストレスとか感じてるのかな……遠慮しないで言って?」
「そんなワケないから!!もう快適でここから出ていくの、絶対嫌だと思ってるくらい!」
私が慌てて言うと、絹はほっとしたように表情を緩めた。
「そっか、ならいいんだ。全部あおいに任せっぱなしだからさ……」
「そんなの全然。それに、私は絹がいるだけで嬉しいの。高校の時から、たくさん助けてくれて有難う。これからも宜しくね」
「……あおいぃぃ……」
「絹がいてくれてよかった。心配かけてごめんね」
「うぅ、あおいがいい子すぎてツライ……何か力になれる時は、何でも言ってよね」
絹は瞳をうるうると潤ませていた。けれど、これは私の本心なのだ。
絹だけが、私に偏見を持たず仲良くしてくれた。
彼女の底抜けの明るさに、私は今までどれだけ救われたか分からない。
絹には世界で一番幸せになって欲しいと思っている。これもいつか伝えられたらいいな。
「何もかも終ったら、絹には全部伝えるから。その時まで待っていて」
「わかった。あおい、応援してるよ」
私たちは互いに微笑み合って、朝食を続けた。


しかしまさか親友にまで心配を掛けることになるとは。これはもういい加減、何とかしなきゃならないところまで来ているだろう。毎晩の恒例行事となっているスマホとのにらめっこにもケリをつけなければ。

今日は絹はサークル仲間とご飯を食べてくるそうで、夕飯不要とのことだった。冷凍しておいたご飯を使ってしまおうと、一人分のご飯を作ることにした。

半端に余っていたレタスを小さくちぎり、ウィンナーも刻む。
フライパンに卵を割りいれるとじゅわんといい音が響く。この瞬間が大好きだ。
木べらをかき回して半熟玉子にし、解凍したご飯をフライパンに入れる。
よく混ぜて、鶏ガラスープの素と塩コショウで味付け。マヨネーズとしょうゆを隠し味にして、最後にレタスを加えてさっと炒める。
光希から教えてもらったレシピのチャーハンだ。自分でも大分うまく作れるようになったと思うけれど、やはり光希が作った方が断然美味しい。

ダイニングテーブルにチャーハンのお皿を置いて、飲み物を用意するためにグラスを取ろうとした時だった。
鞄の中に入れっぱなしにしておいたスマホが着信音を鳴り響かせた。

「ん、誰だろう……?」

チャーハンは出来たてが一番美味しいので、ちょっと残念だが仕方ない。
ほかほかと湯気を立てるお皿を尻目に、私は鞄の中をごそごそと探った。

「……!!」

画面表示を見たとき、私は息が止まるかと思った。

そこに表示されていたのは、“光希”という名前。

私の一番愛しくて、大切な人の名前だった。

「やだ、うそ、なんで、え、ちょっと待って!!」

途端にがたがたと震えだす私の手。半ばパニックになってしまい、私は一人で騒ぎたてた。心臓が口から飛び出そう。体中からどっと冷や汗が沸き出た気がする。

早く出ないと切れちゃう。
挙動不審にならないように、普通を心がけて話さなきゃ……!!

必死の思いで画面をスワイプすると、光希との電話が繋がった。

「……あおい?今、大丈夫?」

久しぶりに聞く、甘くて低い声。もうそれだけで、私の目の奥は次第に熱くなっていった。

「うん、大丈夫だよ。久しぶりだね。光希、元気にしてる?」

気を抜いたら声が震えてしまいそうだった。
だって、一年ぶりくらいの光希の声が聞けたのだ。嬉しくて胸が張り裂けそう。

「僕は元気だよ。あおいはどう?元気にしているの?」
「うん、絹とのルームシェアもうまくいっているし、大学にも慣れてきたよ」

何気ない会話が幸せで仕方ない。会話の録音って出来ないんだっけ。光希の声、何回でも繰り返し聞きたい。

「あおい、誕生日は空いてる?」
録音機能はどうすればいいんだったかと私が考えている時に、思いがけない一言が耳に飛び込んできた。
「誕生日……?、あ、空いてるけど、どうかした?」
「あおいは20歳になるだろう?特別な日を、僕にお祝いさせて欲しいんだ」

私の頭は一瞬で真っ白になった。

光希が、私の、20歳の誕生日を、祝ってくれる?

驚きのあまり声が出ず、二人の間にはしばし沈黙が流れた。

「あっ、……嫌かな?だったら遠慮なく、」
「違う!!光希と過ごす!!20歳の誕生日、光希にお祝いして欲しい!!」
必死で言い募る私に驚いたのか、一瞬の空白のあとに、光希が吹きだした。
「ぷふっ、……良かった、嫌がられなくて」
またやってしまった。
私、すごくがっついている。
頭のてっぺんからつま先まで、熱くて熱くて仕方ない。
「あの、どうぞ宜しくお願いします……」
必死の思いで何とか言った一言は、羞恥から声が震えていた。
「こちらこそ、宜しくね。時間と場所はあとでメールするから。あと、当日着てきてほしい服一式も送るから、それを着てきてね」
「えっ、……そんな、だって」
「僕からの誕生日プレゼントのひとつ。受け取って欲しいな」
「……ありがとう」
そのあと少しだけ会話したけれど、殆んど内容は覚えていない。私は舞い上がってしまって、ばかみたいにはしゃいでいたからだ。

光希と久々に会えるのだ。
それだけで、こんなに心が弾む。

電話を切った後に、ほうっと幸せのため息を吐いて、胸にスマホを抱きしめた。
「うそみたい……」
まさか光希から電話がかかってきて、しかも誕生日祝いをしてくれることになるなんて。
光希のことだから、きっとハタチのお祝いを義理堅くしてくれるつもりなのだろう。元兄として。相変わらずの優しさに胸が温められる気がした。

だけど、もしかしてその席で光希の結婚について明かされたりするのだろうか。ふっとそんな考えがよぎり、心のどこかが冷えた。
それでも。
私は光希に必ず想いを伝えよう。そして、振られるだろうけど、光希の結婚は心から祝福しよう。もう私はおとなになるのだ。しっかりと前を向くために、やらなければいけないことがある。

その次の日には、光希からの贈り物が届いた。
百貨店からいくつもの大きな箱がやってきて、私は口をあんぐりとさせた。ちょうど一緒にいた絹もそれを見ていて、きゃあきゃあと騒いでいた。

「ちょっとこれすごくない!?全部あおいのお兄ちゃんから!?」
「う、うん……実は誕生日のお祝いをしてくれることになっていて。その時の服とか送ってくれるって言ってたんだけど……これはすごいね……」

だって、ただの女子大生が身につけるにしてはあまりに高価なものばかりだったのだ。
多分値段を見たら卒倒するレベルだ。
ワンピース、靴、バッグ、アクセサリー。すべてハイブランドの品で、箱を開ける時はごくりと唾を飲み込んでしまった。

「あおいのお兄ちゃん、相変わらず格好良いなー。やることが違うって言うか。あーあ、そういう彼氏欲しいなぁ」
「私もそう思う」
本当に、光希が恋人だったらよかったのにね。なかなかうまくいかないものだ。
「でもさ、私、安心した。あおいとお兄さん、全然連絡取ってないみたいだったから。もしかしてルームシェアに反対されてるのかと心配してたんだよね」
「そんなことないよ。ほら、私と光希って、元々血縁関係は無いし。離れて住むと、なかなか連絡取るきっかけも無くて」
「そうだったんだ……久々に会うんだから、思いっきり甘えてきなよ」
「ふふ、そうだねぇ。頑張ってくるよ」

私は光希が用意してくれたこの服を着て、せめて潔く振られてこよう。

縋ったりしないように。
泣いて困らせたりしないように。
最後まで笑顔で、明るくさよならを言えるように。
それが今まで育ててくれた光希への礼儀だろう。


一番綺麗なあおいにならなきゃと言って、絹は色々手を尽くしてくれた。
取っておきだというフェイシャルパックも毎晩してくれたし、美容に効くツボ押しとやらもしてくれた。
「いたたたた!!絹、なんかそこ痛い!!」
「痛いのが効くんだって、あおい我慢!!」
「そ、そういうものなの……?い、痛いよ!!」
それはそれは痛かったけれど、絹の気遣いは私を勇気づけてくれた。
「あとさ、美容院に行ってちゃんと当日は髪形もやってもらいなよ」
「え……そういうものなの?」
「あのさー、めっちゃくちゃいいトコに連れて行って貰うんだよ!?それくらいするのがマナーだよ!」
「は、はい」
おしゃれに疎い私の為に、絹は美容室まで手配してくれた。
「夜会巻きにして貰いなよ。あおいはうなじがすごく綺麗だし、首筋を出すとぐっと色っぽくなるから」
「そ、そうなの?」
「あおいは自分の良さに全然気が付いてない!まあそこがまたいいんだけどさ」
くすくすと笑って絹は私の額を人差し指でとんと押した。
自分の良さとやらはさっぱり分からないけれど、絹のアドバイスには従っておく方がいいだろう。
私は忘れないように、“夜会巻き”とスマホのメモに入力した。
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