ただひとりの運命の人は、私の兄でした
いつまでも傍にいて

どうかこの想いが伝わりますように

誕生日当日、朝から私は極度の緊張状態だった。
幸い週末で大学は休みだったけれど、私は半ば恐慌状態に陥っていた。
「絹、……どうしよう。ご飯が喉を通りません」
「ちょっとしっかりしなさいよ!!ちゃんと食べないと、肌にハリも出ないからね!」
「ぐぅ、た、食べます……」
何とかかんとかお味噌汁だけは完食したけれど、他は全く手を付けられなかった。
「久々にお兄さんに会うからって緊張しすぎだよ。もっとリラックスして?」
「……逃げ出せるものなら、逃げ出したい」
「何情けないこと言ってるのよ!!」
私は朝から絹に怒鳴られっぱなしだった。
この日の為に頑張ってくれた絹には申し訳ないけれど、本当に逃げ出したいくらい。

光希から結婚報告なんて聞くのはやっぱり辛いだろうし。
玉砕覚悟で告白するのもきついし。

ぐだぐだと後ろ向きに考えていたら、絹に思い切り背中をばしんと叩かれた。

「いっ、……!!痛いよぉ……」
涙目で私が訴えると、絹は私の頭をぐしゃぐしゃと撫でてくれた。
「大丈夫、今日のあおいが今まで一番綺麗だよ。自信持って?お兄さんだって、あおいに会いたい筈だから逃げないで?」
「……絹……」
絹の優しさがじんと胸に広がって、私は泣きそうになった。
「美味しいもの、一杯食べておいでよ。ね、頑張って!!」
柔らかく微笑んでくれた絹の笑顔は、本当に綺麗だった。絹がいてくれてよかった。私は落ち着きを取り戻して、大きく頷いた。


夕方になり、美容室での髪のセットも終えて、私は待ち合わせ場所に向かった。
絹の言う通り、夜会巻きにしてもらったけれど、似合うかどうかは分からない。
美容室の人は、「すっごく綺麗!」と褒めてくれたけれど、まあお客さんにはそれくらい言うだろう。

光希が用意してくれたのは、黒いワンピースだった。
上半身はフィットしているけれど、腰のあたりでフレアーシルエットに切り替えてあり、エレガントな印象だ。
スカートの部分は大きめのタックがふんわりと緩やかなボリューム感を出していて、とても可愛らしい。
それにピッタリ合うパールのネックレス、イヤリングも身に付けた。
黒いヒールはとても大人っぽくて、ヒール部分に金の装飾が施してある。
バッグは白くてやはりエレガントなデザイン。おしゃれに疎い私ですら知っているブランドのものだった。

絹はすっごく良く似合うと褒めてくれたけれど、どうも落ち着かない。
大体、ちんちくりんで有名だった私にこんなオシャレ偏差値が高いものはいかがなものか。
待ち合わせ場所のホテルに向かう間、色々な人が私をじろじろ見ている気がした。やっぱり似合わないだろうか。

「あの、すみません」

後ろから声を掛けられ、私はびくりと身体を緊張させた。

「は、はい……?」

ぎこちなく振りかえれば、そこには光希と同じくらいの年代の男性が立っていた。

何だろう。スカートのファスナーでも開いてたのかな。
それともおかしなところがほかにあるとでも。

ドキドキしていると、その男性は意を決したように口を開いた。
「あの、お時間あったら、お茶でもいかがですか?」
「は?」
思いがけない言葉に私は首を傾げて聞き返した。

お茶?何で?

真意が理解できずに言葉を返さずにいると、その男性が恥ずかしそうに笑った。

「あの、とっても綺麗で、声を掛けずにいられませんでした」
「は……?」

ますます意味が分からなくて目を瞬かせていると、私の腰に誰かが手を回した気配を感じて私は驚く。

「ごめんね、この子は先約があるんだ。待たせちゃったね、行こうか」
「あっ、……そうなんですね。失礼しました」
「光希……!!」
「あおい、久しぶり」

光希だ。
本物の、光希だ。
好きで好きで、会いたくて堪らなかった光希が、今私の隣にいる。しかも、私の腰を抱いてくれている。
どうしよう。頭から湯気が出そう。

「あおい、すごく綺麗になったね。見違えちゃったよ」
「ま、馬子にも衣装ってやつかな……ははは。こんな素敵な衣装、どうも有難う」
「何を言っているんだ。君ほど綺麗な子は他にはいないって、僕は前も言っただろう?さあ、行こうか」
久々に会う光希はやっぱり格好良くて、頭がくらくらした。
成功している男が持つ余裕のある雰囲気と、ぐっと増した男の色気が彼をますます魅力的に見せていた。
そのひとが、私の腰を抱いて歩いているのだ。
いいのかな。今日だけ特別だろうか。
「ふふ、今日は格好良くエスコートさせてね」
光希が楽しそうに笑うので、私は抱かれるままになっていた。最後なんだから、これくらい甘えても、いいよね。

ホテルの受付を通り過ぎて、エレベーターで最上階のレストランに向かう間も、光希はずっと私の腰を抱いていた。
落ち着けと何度も自分に言い聞かせたけれど、そんなの無理だ。だってすぐ間近に光希の体温を感じて、顔がにやけそうになる。
しかも何かと言うと、光希が耳元に唇を寄せて甘い褒め言葉ばかり囁くのだ。
「あおいみたいに綺麗な子は他にはいない」とか、
「あおいは最高。外見も中身もこんなに美しい人はいない」とか。
こんな歯の浮くようなセリフ、普通だったら滑稽にしか思えないけれど、光希が言うと何の違和感もない。
むしろ似合いすぎていて、言われた方は赤くなって俯くしかない。
何だろう。こうやって散々持ち上げた後に一気に落とす作戦なんだろうか。
あまり浮かれちゃまずいとは頭では分かっていても、こころは言う事を聞かない。
ああ、私の兄はこんなに悪い男だ。

案内された席からは素晴らしい夜景が臨めて、私は目をきらきらさせてそれを眺めた。おのぼりさん丸出しだ。
でも光希はそんな私を諌めるどころか楽しそうに笑いかけてくれて、私はほっとしてしまう。
「20歳になったから、お祝いのシャンパンでも飲もうか。うんと美味しいの」
「うわぁ、……光希とお酒飲むの、夢だった。うん、飲んでみたい!」
私の言葉に光希はにっこりと微笑んで、ソムリエに何か相談してオーダーを済ませてくれた。
まさかこんな風に一緒にお酒を飲めるなんて。
現実感がなくて、ふわふわと宙に浮いているみたいだった。
間もなくソムリエがやってきて、グラスにシャンパンを注いでくれた。
何か説明をされた気がするけれど、もう夢見心地で耳に届かなかった。宝石みたいな名前のシャンパンだった気がする。
「あおい、20歳のお誕生日、おめでとう」
「ありがとう……」
グラスをカチンと合わせて乾杯をする。
グラスの中でキラキラと輝くのは薄いはちみつ色。
おそるおそるグラスに口を付けて生まれて初めてのシャンパンを味わった。
するとふわっと口の中に広がるフレッシュなフルーツのアロマ。華やかな味が喉を潤す。
「どう?お口に合ったかな?」
「……、美味しい……!光希、これ凄く美味しい……」
「良かった、喜んでもらえて」
じんわりとアルコールが身体に沁みていく。
ああ、こんなに幸せでいいのかな。
でも知ってる。きっとこの幸せも、シャンパンのしゅわしゅわした泡みたいにすぐ消えちゃうんだ。それでもいい。この時間は、私の一生の宝物になる。
この一瞬一瞬を頭に刻み込んで、何もかもを忘れないようにしなきゃ。

ゆったりとグラスを傾ける光希はやっぱりいい男で、目が合っただけで胸がきゅんきゅんしてしまう。しばらく離れていたから、余計にそう感じるのだろうか。
カジュアルな服装も好きだけれど、今日みたいなフォーマルなスーツは光希の魅力を際立たせる。
もちろん和装だっていける。以前、和服を身に付けているのを見た時、あまりに似合っていて卒倒するかと思った。
でもお風呂上がりのパンツ一丁でも格好良かったし。私がその姿を見て鼻血を拭きそうになっていたのは内緒だけど。まあつまり何でもいける男なのだ。

お料理は光希がコースを選んでくれた。次々にサーブされるお皿は、まるでひとつひとつが芸術品みたいだった。
「すごい……!お皿のお料理が一枚の絵画みたいだね……食べるのが惜しいくらい」
「料理は味わってこそだよ。さあ、食べてご覧」
柔らかい微笑みに、私ははにかんでこくりと頷いた。

周りの人には、私たちはどう見えているのだろう。
今夜くらいは恋人同士だと思われたら嬉しい。
まあ、実はただの義理の兄妹だった二人なんだけどね。確かな繋がりなんて何もない。
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