屋上のあいつ
「チ・ヨ・コ・レ・イ・ト・グ・リ・ン・ピ・イ・ス・パ・イ・ナ・ツ・プ・ル」
「おまえずりぃぞ! グーはグリコやろ!」
 一人だけ足早に、一人グリコをして屋上へと続く階段を上っていく孝樹に、俺は笑いながら突っ込みをいれた。十一月七日、晴れ。いつも昼飯を一緒に食べる幼馴染が用事があると言ったので、久しぶりにクラスメイトと昼飯を食べることにした、十二時三十一分。朝船に乗って通学していた時点から、少し肌寒いと感じてはいたが、折角こんな天気なのだから屋上へ行ってみないか、という升田の誘いに俺と孝樹は即座に賛成した。屋上は立ち入り禁止となっていたが、俺たち三人にそんなことはお構いなしだ。
 俺の通う、ここ私立東南高校は、北九州市内ではそれなりに名の知れた所で、バイト禁止だったり携帯禁止だったり、何かとルールのある進学校だが、どこかしら校内にゆるい空気が流れていた。そのおかげか、「ちょっとぐらいルールを破っても大丈夫かな」という意識を、生徒のほとんどが持っている。染髪禁止だけど、先生の眼をごまかして染めている奴もいるし、携帯だって隠れてみんな持ってきていた。そんなものだから、例にもれず俺たちも「まあ、登ってもばれなきゃ良いだろ」ぐらいの気持ちである。
「いーんだ、グリンピースのほうが段数稼げるもん」
 そう言いながらも残り三段を「グ・リ・コ!」と威勢のいい掛け声で上りきった彼は、着くなり仁王立ちをして「到着ぅー!」と叫んで見せた。珍しく澄んだ青空に、黒い学ランの形がくっきりと浮かび上がる。
「孝樹! あんまり騒いだら見つかるやろ!」
 しーっ、と升田が唇に人差し指をあてると、とたんにびくっと孝樹の手足が縮んだ。そしてさっと、俺たちのほうを振り返り、「お口チャック」と自らの口の前でファスナーを閉じる動作をしてみせる。目を見開き、ぐいと唇を口の中に巻き込んだ顔を見て、俺は吹き出しながらも「あほ面!」と言い最後の一段を上りきった。
 屋上なんて、初めてきた。
「……ん?」
 やっぱり高い。小倉の町が、海が、木が、小さく見える――……ここは海風が届かない分、朝ほどは寒くないな、そう思った次の瞬間、俺の目は屋上のずっと奥、でんと据えられた貯水タンクの上に釘付けとなった。
「いーなー、ここはやっぱ! 誰もおらんし」
 俺の後ろから、升田がのびをしながらあがってきた。そしてそのままスタスタと、慣れた足取りで貯水タンクのあるほうへと進んでいく。
「俺たち三人の貸切状態やん!」
 嬉しそうにはしゃぐ孝樹の後ろ、俺ははじめ、彼らはそれに気づいていないのかと、そう思った。しかし、貯水タンクに向かって座っても尚、変わらない二人の態度を見て、これはもしやと生唾を飲み込む。
「俊弥何つったっとん」
 升田の声にはっと我に返り、「屋上っち、こんなんなんやとおもって」とごまかしそれに背を向けて座った。さあ、飯食おうぜ、と片手に下げてきた弁当を広げたものの、常に背後に意識がいってしまい、とうとう昼休み中友人の会話は頭の中へみじんも入ってこなかった。
 予鈴がなり、ぞろぞろと教室へと下りていく。
 その時ちらりと振り返ってしまったから、いけなかったのかもしれない。あそこで振り返らずに、自分が見間違いをしたのだと割り切っていればあるいはこのような出会いはなかっただろう。ちらり、と振り返った貯水タンクの上には、四十五分前と同じ、少年が足をブラブラさせ、退屈そうに座っていた。

「俊弥、ここわからん」
 数学の問題を持ち、升田が俺の一つ前の席の椅子をひいた。午後一の授業を終え、気だるいのか、ふてぶてしくもプリントを俺の前にヒラリとおくと机に手を投げ出し、頬を押し当てる。
「お前なあ、俺文系やぞ?」
 夏の暑さにへばっている大型犬のように、眉を下げて見上げてくる升田に、舌をだらしなくたらして見上げてくるうちの飼い犬の姿が一瞬重なった。対して俺は、彼の態度に眉をひそめる。
「だから?」
「お前理系やろ。文系から理系が数学習って、どうするんか」
「どうもこうもせん。わからんもん」
 はあ。こいつはいつもこうだ。いつもこの調子で、俺に何かを聞いてくる。数学でも生物でも国語でも、何でもかんでも持ってくる。正直、めんどくさいったらない。俺は升田の投げ出した問題をみた。
白玉四個、赤玉二個が入っている袋から玉を一回取り出して……。
「お前こんなんもわからんのか」
 ため息をついた割には、すらすらと解き、升田に手渡す。升田はそれを見て現金にも満面の笑みを浮かべると、ぱっとおきあがった。
「そっか。ありがと」
「ん……少しは自分で考えろよ」
「考えた考えた」
 あきらかに考えていないような返事をする升田を、ため息をつきながらあきれ顔で見やる。
 確率は文系の人が得意だって、誰かが言ってた気がする。数学は、授業にはついていけていたが、はっきり言って苦手科目だった。それを承知で、升田は俺の所に問題を持ってくる。今のようにすらりと答えが出るのはごくまれで、普段は問題を見た瞬間すっぱりと、「わからん」といってプリントをつき返すのだった。つき返した後、「えー」と言って大分騒ぐから、それの相手をするのもいちいち大変なのだけれど。
「なあ、俊弥」
 プリントを片手に持ち、升田が俺の顔を覗き込む。
「何? もう問題は解かんぞ」
「ちげえよ。お前さ、最近ボーっとしすぎとらん?」
 大丈夫かぁ? と目の前で振られる手をぼんやりと見つめ、今升田に言われたことを頭の中で反芻する。
「ボーっと、しとる?」
「しとるしとる。いや、お前元々そういう所あったけど」
 彼の意外な言葉は、実はかなり的を得ていた。ぼーっとしている原因は、わかってる。あの日、天気が良かったから立ち入り禁止の屋上にのぼり、昼食を食べた。その時、少年を見た。いや、あれを少年と呼んでいいものか、俺は今でも悩む。
 制服を、着ていた。
 俺の通う、ここ、私立東南高校の学ラン。貯水タンクの上で、彼は登ってきた俺達、いや、俺を見たのだ。俺もはっきりと、その姿を見た。黒髪の短い、高校生。だけれども、その姿に気がついていていたのは、どうやら俺だけだったようで。一緒に行った二人の態度で、彼が普通の存在ではないことがわかった。
 見ちゃ駄目だ。
 はじめてみた幽霊だった。意外と恐怖はなく、幽霊をこんな昼間から、しかもこんなに天気の良い日に屋上でお目にかかれたことを、少々おかしく思ったのかもしれない。
「母さん、今日幽霊見たよ」
 帰宅してから、やや興奮気味に母さんにそれを伝えると、夕食を作っていた彼女の反応は、
「あら、あんたも見えるようになってきたん」
というとても軽いものだった。変な話だが、どうやらうちのばあちゃんが幽霊の類が見えるらしいのだ。らしい、というのは俺自身には(残念ながら)霊感がなく、小さい頃から何も見えたことがない。それでも、ばあちゃんから日常的に「今日あそこの工場の上で上半身がないのを見た」だとか「この前神社からついてきた」だとか聞かされて育ってきたので、同じく色々聞かされてきた家族一同、その存在をとても身近に感じてはいたのだ。
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